こんにちは。お元気でしょうか?私は元気です。この仮想空間の中で生きてる私は、いつでも皆さんの前では元気いっぱいです。早速ですが、今回のテーマは「愛って何?」です。そのように問いかけてる漫画や小説や映画やテレビドラマやCMなどを目にしたことが誰にでもあるのでは?と思います。言わば「言い古された問い掛け」ですよね。私が思うに、愛とは2種類あると思います。ひとつは「親子愛・兄弟愛 ・人類愛・友人愛・隣人愛・チーム愛、 とかの広い意味での一般的な愛」そう、「博愛」です。博という文字には「広くて一般的な」という意味があるみたいですね(辞書などをひいたわけではないのですが)。博愛などと古くさい言葉を使う人なんて今時誰もいないよ、 と言われそうで、少々怖いですね。私がまだ若かった頃、今から45年ほど前の記憶ですが、 その当時の私には「ともすると博愛は偽善へと姿を変えるだろう」などと言うへそ曲がりな思いが強くあったので、その存在を今イチ信じきることができませんでした。斜めから見てました。今になって思えば、尖ってたというか、こそばゆいというか、恥ずかしいものですね。
もうひとつは「男女間の愛」です。言わば「恋愛」です。愛は大分部はこの「恋愛」です。博愛のほうに言い及ぶことは、また次月とさせていただきまして(つまり2回1組、長文対策のつもり)、この場では「恋愛」のことを「愛」と呼ばせていただきます。こんなジェンダーレスの時代に男女間と限定するなんて許しがたいと、お叱りを受けるのかもしれませんが、敢えて非生産的な愛はこの際(話しがややこしくなるから)除外させていただきます。「博愛」と「恋愛」の比率は人によって異なりますが、自分の事例を考えてみると、約1:9位ではなかろうかと思います。 この後から書く言葉には、言い手にとっては言いにくいことを含んでいて、聞き手にとっては聞きにくいことかもしれませんが、どうしても言っておきたかったことなのです。どうか我慢してご覧ください。
ある日、去年の年の瀬の頃のことですが、私はYouTubeでYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いてました(年甲斐もなく)。あの曲はテンポが年寄には速すぎて(楽譜は見たことないけどたぶん1分で180拍くらいかな、普通は120)言葉を理解する前に次の小節になってしまうから、まるで外国語の歌を聞いてるようでした。歌詞が全然頭に入って来ません。歌声はひとつの優秀な楽器のようでした。このユニットのアピールポイントである「小説を音楽にする」ってどういう意味なんだろう?などとぼんやり考えてました。まずは取りあえず原作の小説を読めばわかるのかな?などと思ってました。しばらくして私の部屋に、この施設の介護スタッフであるSさんがティータイムのためにやって来てこのように言いました。「この曲の元ネタになってる小説を知ってるか?私は読んだことあるよ。ショックを受けた。タナトスの誘惑ってタイトルだった。衝撃的だった」と紹介してくれました。。ん?タナトス?誰のことだったかな?確か人名だったような気がするぞ。何かの作曲家だったかな。忘れたなあ。それに構わず、続けて彼女はこのように言いました。登場する女の子には飛び降り自殺願望があって、彼氏につきあって飛び降りて欲しいんだけど、彼氏には元よりそんなつもりはなかった。だけど、なんやかんやのやり取りをした挙げ句、「本当は僕だってそう思ってたんだ」とか何とか言って、彼女につきあって飛び降りることになった、というお話しの小説だよ、と言いました。後から私が読んだ限りは、さすがはSさん、あらすじはほとんど合ってるようでした。あらすじを正確に伝えることは案外難しいんですよ。読んでる途中ですぐに思い出しました。タナトスとは、人名じゃなくて、ギリシャ神話に出てくる「破壊と死を司る神」のことです。一言でいうと「死神」です。うーむ、あのタイトル、死神の誘惑かい、と思いました。結局は「彼にとっては彼女こそが死神だった」という結論でした。タナトスのお兄さん(中性的外見だそうだからあるいはお姉さん)は、 こちらは大変有名な神様ですが、 「創造と生を司る神」のエロースです。この神様こそが、私が今回取り上げたかった人(あるいは神様)なのです。それを思い出させてくれたSさんには感謝します。この神様ですが、日本では「エロス」と発音されてます。エロい、とは「誰も期待してないのに必要以上に扇情的だ」という意味ですよね。上手い形容動詞(かな)の和訳だと思いました。英語では「エロチック」という言葉もあります。どうして「生を司る神が扇情的」なのかな、なんて思いませんか。「創造と生」と「扇情的」とは何か関係性があるのですかね。
私の考えによると「愛とは性欲」です。
うーむ、過激だ。障がい者支援施設のホームページに掲載するにはちょっと相応しくないですね。それに、もしもこの文章を読んでくれてるあなたが女性だったら、さぞ聞きにくいことでしょう。私も言いにくいです。こんなことを言うことは、私の立場上だけでできるのかもしれません。並みの人にはとても口に出せません。生き物のオスとしてはとうの昔に終わってるけど、生き物それ自体としてはまだまだ終わるつもりはない、とか、こういう発言を遠慮してしまう配偶者が自分にはいる、とか、性格上あまりにも過激なことは口に出せない、とかがいっさい私にはありません。そんな私だからこそ言えることかもしれません。生と創造の神が扇情的だとか、様々なことの辻褄がドンピシャに合います。昔から私は、愛ってロマンチックなものでなくてはならないという「祈りにも似た願い」を抱いていました。私は、(その外見と裏腹に)案外女々しいのかもしれません。愛って「男女間にしか表れない友情」に近いものかな?というめぼしもつけてました。でも全然間違いでした。
実は私は、大学生のおわりまで少女漫画のファンでした。りぼんと別冊マーガレットの購入は欠かせたことがありません。特にりぼんの陸奥A子先生のファンでした。買いに行く度に恥ずかしい思いをしたものだった、と今では懐かしく思い出されます。これらを読んでいれば、「愛とは何か?」の答えに巡り会えるかもしれない、と思ったのです。時に少女漫画は、どの作品でも必要以上に、愛とはロマンチックなもの、と強調されるものでした。東京の大学を卒業して名古屋に戻ってから以降は購入するのをやめましたが、30才で結婚した時もロマンチックなものと思い込むのをやめなかったです。ロマンチックなものに対する「あこがれ」だったかもしれません。そして、少女漫画を読み漁った挙げ句、4年間で私が出した結論は、「愛とは性欲」です。
先程も言ったけど、性別の違う読者さんにはちょっと言いにくいですねー。読者さんがもし女性なら、さぞかし聞きにくいだろうと思います。じゃあ俺は性欲にあこがれ続けていたのか、と思わず自問自答しそうになりました。でも私は、今では誓って「まず性欲ありき」ではありません。そんなものはとうになくしました。「俺は生物のオスとしての役目を終わってる」という事実に免じてお許しください。性欲をなくした男だからこそ言える結論かもしれません。真剣な姿勢で長いこと考え続けました。
この考え方は、漫画の「東京ラブストーリー」の作者の倉田某というオバサンの考えに着想を得たものなのです。私は「そうか、そうなのか」と思わず叫びそうになりました(叫べないけど)。東京ラブストーリーは、後にテレビドラマ化されました、作品中に出てきた登場人物の赤間りかのセリフが有名ですね「カンチ、セックスしよ?」私は後頭部をハンマーで思い切り殴られたような気がしました。「愛とは性欲?それは違う、違ってくれ」、という叫びと共に。でも、まさに性欲に違いありませんでした。 小説にせよ漫画にせよ、物語を作る上での定石は「主人公に大事なことを言わせる」です。漫画のスラムダンク以後は、脇役にこそ心に残る台詞を言わせるという手法が編み出されました。スラムダンクの作者(確か井上某)は、小説の弱点をよく研究していたのですね。何しろ漫画には絵がありますから、話しを整理しやすいのです。表情だけで感情さえ表すこともできます。これらが読んでてもわかりやすいのです。この流れは最近では「ワンピース」に受け継がれています。でも、この時代はそうではありませんでした。主人公に言わせる、ということは、これこそがこのお話しのテーマでした。いくらトレンディドラマだと言っても、この台詞は過激過ぎて誰も言わないぞ、なんて思いました。そんな悩みを吹き飛ばしてくれたのが、この答えでした。(いや、吹き飛ばされてしまった、というべきかな?)
ついでに言いますが、また、こう言うのもあります
「愛は左右非対称」
バツイチの私には言える資格がないかも知れないのですが、膨らませたい、と思うところが男と女では違うのです。
こう言うものもあります。「妊娠は女の特権かそれともリスクか」
妊娠は結婚している女の特権でもあるが、女のリスクでもあると思います。どっちが本当の事だろう?置かれた環境の違いだな、そうに違いないと思います。つまり、愛の正体は性欲で、その形は左右非対称で、その結果は妊娠、ということなのです。
皆さんにお薦めします。愛とは性欲です。そういう目で眺めてみてください。
では「純愛」という言葉に対して、どのような落とし前をつけてくれるのか?の疑問についてはこのように考えます。純愛という言葉は、誰の造語なのかは知らないけど、当時まだたくさん有った「純喫茶」の純から来てるのではないかと思います。混じりけがないという意味では確かに同じなのでしょうが、誰の造語なんですかね、喫茶店と愛を同列に語るというのはちょっと無理があります。こういう言葉が存在するから勘違いが起きるのです。愛にロマンチックを私みたいに抱いてしまいます。純愛とはロマンチックな空想に過ぎません。
前回に負けず劣らずの長文でしたね。最後までお付き合いくださいましてどうもありがとうございました。次回は「それでは聞くが、博愛って何?優しさって何?」の予定です。それではお元気で、さようなら。