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長過ぎね?俺の随筆(その40)『睡眠って何?寝てる時こそがデフォルト』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。ご機嫌いかがですか?私はお陰様で元気です。今日、久し振りに(1ヶ月振り2回目)に、この施設併設のデイ・サービスに見学に行きました。そこで新たに気がついたことは、「俺のことをわかってる」。

 

ここにやって来る人たちのうちのほとんどの人は、俺の立場や位置づけをわかってるみたいです。会釈は返してくれないが、なぜか「わかってくれて嬉しい」です。思いがけなく微笑んでしまいます。お邪魔でなければ、また来たいと思います。

 

私のことを、「寝てるの?寝てたでしょう?」と介護士さんに言われてしまったことに関連付けて、「寝てないぞ」の気持ちを込めつつ、今回のブログのテーマは「睡眠って何?寝てる時こそがデフォルト」です。

 

かつても何度か申し上げましたが、私の眠りは睡眠じゃありません。気絶してるだけです。睡眠じゃないから夢も見られません(信じられないかもしれないけど本当)。かと言って失神でもありません。睡眠と失神の中間の「意識消失」というものです。テレビドラマの医者のカルテに頻出するから、次回は注意して見ててくださいね。

 

私は、睡眠の内訳には

「意志」と

「意思」と

「反射」の

3つあると思います。3つのうちの「意思」と「反射」の2つは、比較的似ていて、あるいは同じ仲間(あくまでも仲間)だと分類してもいいのかもしれません。

 

意志で眠るとは、明確な「眠りたい」という思いです。今こそ眠る時だと思うから寝る、という自分の考えです。

 

意思で眠るとは、「寝たほうがいいかな?ぼちぼち寝ようかな?」という「願い、言い換えれば本能的な欲求」です。あくびが連発し、そろそろ寝たいと思うから寝る。思いがけなく眠たくて、今なら容易く(たやすく)眠りに着くことができると思うから寝る、ということです。

 

反射で眠るとは、「寝落ち」です。気がついたら寝てた、知らない間に寝ちゃってたことです。

 

眠りのうちの3割は「強い意志」で、もう3割は「意思に基づく行動」で、残りの4割は「神経系統が勝手に動いてしまった、意志によらない反射」だと私は思います。意志がレム睡眠(浅い眠りだけど重要なやつ)で、意思と反射がノンレム睡眠(深い眠りで質を問われるやつ)かもしれません。

 

この3つを詳しく説明してみますね。あくまでも私の考えですが。

 

まずひとつ目、意志。

私たちがイメージしやすい睡眠とは、まさしくこのことです。「自分たちの意志によって眠る」です。寝たいから寝るのです。くたびれた状態からの疲労回復や、脳をリフレッシュして新しい着想をしたいから、寝るのです。脳の休息や整理整頓や体の疲労回復を願って寝るのです。

 

2つ目、意思。

「ねむいから寝よう」ですが、これは「生物の生命維持活動の全て(一部じゃなく全て)」だと私は思います。寝たり覚めたり毎日毎日、繰り返し繰り返し飽きもせず。

 

だけど、意志以前の動き、というものもあると思います。それが3つ目の「反射して眠る」です。

「反射して眠る」には、意図したものとは違った他の理由や目的を伴うと思います。発生源も予想外、脳ミソなんかじゃないかもしれません。知らないうちに知らないところから飛び出した面もあるのに違いない、なんて思っています。私は「細胞が眠りたがってる」と思います。

 

「思い掛けなく寝ちゃう」。

私はこの体になって以来、いわゆる「反射反応」に悩まされ続けています。無条件反射とも言いますね。

反射の一例を挙げます。歯みがきしてもらう時に(実は私は歯みがき自律じゃない)口をすぼめてしまいます。これは反射です。思わずそうなっちゃうのです。この時私は「口内に尖った棒を突き刺そうとするやつがいるから危ない」などと思っているかもしれません。危険察知が、私の口を閉じさせているのです。

 

一例と言っておきながら反射の例の2つ目ですが、例えば風呂場での脱衣する時に、体を丸めてしまうのも自分の意志ではありません。腰を痛がってるように見えるけど、あれも反射です。全然、痛くも痒くもくすぐったくもありません。だけど丸まってしまうのです。ひょっとしたら「危険察知」のつもりなんですかね?

 

私には今さら経験しようがないのですが(しょうがないじゃありません、しようがないです)、「高い所で足がすくむ」いわゆる高所恐怖症を自己申告(白状)する人や、個人差ありますがバンジージャンプを矢鱈(やたら)に恐がる人も、気付かないうちに危険察知してしまってるのではないかと思います。

 

そもそも私は、「体の疲労を感じるところ」も「心の疲労を感じるところ」も、脳内の同じ場所で起きてると思います。その上、体の疲労も心の疲労も、かなりの確率で「同じもの」だと思います。正月にやってる箱根駅伝を最初から最後まで見たことはありませんか?誰しもみんな、たすきを次の走者に渡した後は疲労困憊です。中には倒れ込む人もいます。「苦しいんだろうな。普段から並々ならぬ訓練を重ね続けてる人だけができる頑張りなんだろな。監督の激励する声だけが支えだったんだろうな。倒れるほど走り続けたなんてよく頑張った。」などと思います。だけど、無理して走りすぎて救急搬送、もしくは死んでしまった例を私は聞いたことがありません。人は「死なない程度に頑張れる」のです。限界を越えるみたいに頑張れ、なんて誰がどこで指図してるの?ギリで限界を越えない程度に。そのほうが見栄えがいいから?。

 

行動自体の半分(厳密に言うと40%)は反射、その理由そのわけは「知らないうちの危険予知」ではあるまいか?ということです。危険だからこうしたい、という反応です。

 

ならば、発生源は?

私は「反射は、脳や脳髄からではなく、細胞から直接やって来る」と思います。もしも「細胞から直接」でなければ、腸からやって来ると思います。動物(人間)というものは、受精卵から分裂して行く時に一番最初に形造られるのは腸だそうです。脳よりも圧倒的に早いそうです。どちらかというと私はちょっと「細胞から直接やって来る」説を支持してるんですけど。

 

細胞からやって来る「寝たいという気持ち」こそが、魂の叫びだと思うのです。念の為の危険予知を引き連れて。

 

マグロも鯛も、鰯も鰺も鯖も秋刀魚も眠ります。睡眠には「睡眠の定義」があって、これらの魚たちは概ね当てはまるそうです。ならば、ウニは眠る?ナマコは眠る?アサリは眠る?いそぎんちゃくは眠る?ウミウシは眠る?

おそらく眠ります。だけど、脳が未発達だから「行動」はあり得ないと思います。寝ようと思って寝てるわけじゃないと思います。脳のあるなしに関わらず体の細胞たちは時々は休みたいのではないでしょうか?脳を持たないいそぎんちゃくは一体どうやって何処から「休め」の指令を出してるのでしょうか?それとも、いそぎんちゃくの全ての細胞は、まるで人間の心筋が如く「不眠不休」で動き続ける筋肉だけで出来てるのでしょうか?脳を持たない生き物さえも「お休みしたい」ことはあると思います。

そうじゃなきゃ私はあなたは、寝てる間に心臓が止まってしまうかもしれません。「ちょっとだけ休むつもりだったのに死んじゃった」そんなつもりじゃなかったのに。

胃袋が動かないせいで「寝る前につい一袋食っちゃたポテチ」が一晩中胃袋に残って、胃もたれのせいで一晩中眠れなかったかもしれません(俺、本当にある)。

 

 

私は、人間は「寝てる間」こそが人間本来の姿を晒してると思います。寝てる時こそデフォルトだと思います。

生物にとって睡眠は危険な瞬間の連続だと思います。寝てる間は無防備です。無防備極まりありません。だけど、植物をご覧なさい。無防備極まりありません。生えててもむしられ放題です、虫にたかられ放題です。ということは、動物である我々も、されるがままが人生(人生?)なのではないのでしょうか?根本的な問題点「心臓が動く」「胃袋が動く」が何よりの前提条件です。危険回避」や「何者も恐れない生命本来の休息」。それが寝ちゃう睡眠だと思います。

その司令は、脳や脳髄が形成されるより遥か昔から存在した「細胞そのもの」 から発せられてると思います。脳ミソがないはずのいそぎんちゃくも寝ちゃうのです。

 

あなたは、ディズニー映画の「アナと雪の女王」はご存知ですか?もちろんご存知ですよね。ならばあの映画の主題歌はご存知ですか?そう、松たか子さんも歌った「Let it go(ありのまま)」ですね?心暖まるようなメロディですね。ならば、あなたはビートルズ後期の代表曲の「Let it be」はご存知ですか?もちろんご存知ですよね。あれを訳すと「なすがまま」です。うーん、beとgoの違いだけで、ありのままとなすがまま!反対語でもない、似たような言葉だなぁ。

で、ビートルズの楽曲のLet it beを翻訳すると、1番では、「私がさまよっている時、マザーメアリーが賢い言葉をささやいた『なすがままにするが良い』」。2番では「私が泣き叫んでいると、どこからかこんな声が聞こえて来た。それが神の全ての答えに違いない『なすがままにするが良い』」、と歌ってます。「マザーメアリー  カムトゥミィ スピーキンワードォブウィズダム レッイッビー」えっ?宗教色が強すぎない?いいえ、そんなもんです。アングロサクソンの人々は知ってたんですかね?なすがままが良い。一方、アナお嬢さんは「ありのままの姿見せるのよー」と歌ってます。ありのままの姿を見せる、と。

 

いやあ、今回もまた長くなりました。言いたいことがいっぱいあるという自分に気がついてしまったのです。次回のブログは「1年はなぜ短い」の予定です。それではごきげんよう、さようなら。