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長過ぎね?俺の随筆(その46)『聞こえない音、見えない物体、匂わない匂い』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか?私は元気です。「張り切って」というほどではないにせよ、せめて「前を向いて生きて行きたい」という気持ちは後期高齢者になってしまった今でさえもまだあります(身障者だと後期が10年早い)。後ろ向きな気持ちになってしまい勝ちな今日この頃ですが、この不自由な体のせいでも歳のせいではないと信じて、前向きな姿勢でやってみようと思います。だけど、歳のせいか病気のせいかはわからないけど、実は私は「五感」がかなりめちゃくちゃに破壊されてます。視力だけは100%残ってますが、聴力触覚は80%しか残っておらず、嗅覚も味覚も全盛期のなんと1%。トイレの中も全然臭くなく、食事も殆ど味がありません(コロナじゃない)。白飯はいつでもふりかけ2袋使いで、お茶も味が濃いやつ自前持参です。そんなわけで、今回のブログのテーマは「聞こえない音、見えないもの、匂わないにおい」です。

 

置針式レコード(ちしんしきレコード)の生産量が復活して来ています。レコードとは、黒いエボナイト(硬質ゴム、ボウリング球と一緒のもの)で作られた円盤のことです。円盤に刻まれた「溝の凸凹」をルビーまたはダイヤモンド製針付きのアームでもってトレースするやつのことです。レコードが持つ「人間には聞こえない音の、そこはかとない音質の良さ」が見直されつつあるのです。レコード世代(ふるっ!)の私には、ちょっとだけ嬉しく思えます。

 

可搬型の音声再生(あるいは再録兼用)装置の変遷は、オートマタ(いわゆるオルゴール)に始まり、レコード、やけにでかかったオープンリールの磁気テープ、今にして思えばかなりでかかったカセットテープ(小さいと思ったけど小さくはなかった)、レーザーディスク、MD、CD、PC内蔵型ハードディスク、メモリーカード、SDカード、USB、ブルーレイDVDなどなどです。CDが出た時は「もうレコードは終わった」と思いました。

 

しかし最近では「レコードには音に暖か味がある」とか「音量を絞った時でも音が痩せない」とか言われます。私の記憶によると、確かレコードの録音周波数は「20Hz~22000Hz」。

 

それに対して人間の耳の可聴域(聞き取り可能領域)は

「10代なら20Hz~20000Hz(微少な個人差あります)」

「20代で30~18000Hz(微少な個人差あります)」

「30代で50~16000Hz(微少な個人差あります)」

「60代で120Hz~12000Hz(絶大な個人差あります。個人差?ということは俺自ら俺に助け船?)」

年齢差は大きいけど、再生可能範囲はどんな年代の人間よりも、レコードのほうがちょっと幅広いです。

 

それに対して、

CDプレーヤーの録音可能周波数は「聞こえない範囲に制限を掛けた上で、20Hz~20000Hz」。20000以上はすっ飛ばしてますが、音楽を聞くためにはCDでも何の差し障りもありません。しかしCDにおいては「聞こえない領域を、聞こえないとわかった上で故意にカットしてる」のです。聞こえない領域の20000~22000Hzの領域は、その音域も含めて録音しようとしたらやれるけど、聞こえない領域だけで2倍以上のスペースが必要。だから、「どうせ聞こえないならばいっそのことカットしてしまえ」。そしてカットされました。聞こえない音のために大きさ3倍?カットするのが至極当然の判断だとは思います。当然の成り行きを踏まえながらCDは普及して来ました。CDはさも当然みたいに生き残って来ました(当然だ)。絶滅したのはレーザーディスクやMDのほうが先でした。

 

これは、昭和中期に実在した「水銀式体温計」と同じようなことだと思います。目盛りは35度~42度まで。低いほうについては、35度で人間は低体温症よって脳の動作不良、正気をなくして雪中で服を脱いでしまうらしいです(幸いにして私は未経験)。その昔、映画の八甲田山203高地でやってました。33度以下で死。そして高いほうについては、43度でたんぱく質が固まり始めて、47度で死、だそうです。42度以上も35度以下も、やろうと思ったらやれるけど、死んでしまうから意味ない。作っても長過ぎて脇には挟めない、だから使わない領域はカット。当然です。だから、脇に挟むことができるぐらい小型で済んだのです。

 

発売当初からこの「CDは音が冷ややか」問題は、一部の人の間では懸念されてました。カンの鋭い人もいたもんだと思います。でもわりと大勢いましたね。私にはわかりませんでした。「聞こえないものは聞こえないし、暖かくもならない」。

 

聞こえないくらい高い音のことを「超音波」と言って、一般的には「モスキート音」と言われて嫌がられます。だけど高周波は「モスキート音だけなら不快だが、何か違う要素を孕む(はらむ)かもしれない。あからさまにはわからないようにした上でその『本来ある音』とうまく掛け合わせたら、癒し効果があるかもしれない」としばしば語られます。例えばモーツァルト、彼が手掛けた楽曲には「癒し波長」が含まれていると言われてます。モスキート音は欠片もありません。使用する楽器が最もよく鳴り響く音域を知らないうちに多用して、しかも「何かの健康のために良い効果があるよく鳴り響く音や、聞こえないはずのモスキート音に関連する音が、知らないうちに含まれてしまってる」ためではないかと言われてます。f分の1の揺らぎと表現されます。よく鳴り響く音域?聞こえない音域?それは必ずしも高周波じゃないけれど、例えば倍音など、容易く(たやすく)そんなものを連想させる何かなのかもしれません。モスキート音が含まれてたら、あんなに軽やかな音楽にはなりません(モーツァルトの音楽自体に好き嫌いはあるけど俺はわりかし好きなほう)。不快感だけが強調されることでしょう。ご存知だとは思いますが、モーツァルトの音楽は、不快感からたぶん一番遠いところにあります。受け取り方には個人差あるけどメロディラインが軽やかです。ただ、作品から浮かぶ彼の人柄の印象に反して彼はかなりの変態だったとの噂、うん◯マークの縁取り付きラブレターも残ってるところから見ても頷ける、そんな彼があんなに軽やかな音楽?ましてや癒し?きっと謎の波長の仕業です。

 

その一方、聞こえないくらい低い音のことを「超低周波」と言って、人間の体や脳にとても良ろしくない影響を与えることが確実視されてます。低周波は、工場の大型機械やボイラーなどから発生すると言われてます。迫力に溢れてると思うか、唸りがおっかないと思うかだけでめちゃくちゃに違います。その他にも、高速道路の道路の継ぎ目を車が通過する時の、橋脚からのガタンゴトンの衝撃によって、単なる振動は低周波に変化することによって出現するそうです。振動それ自体が害をもたらすだけじゃなく、周囲のものに共鳴する、ということなのでしょう。

 

聞こえない音は、かように私達の生活に密着しているのです。

じゃあ、生演奏の音とCDの音は違うの?

どうやら違うらしいです。私にはわかりませんが、みんなが口を揃えて主張しますから、不本意ながら合わせたくなってしまいます。「キョロキョロ、あれえ?みんなそうなのね?じゃあ俺も」高周波低周波を疑ってるわけではありません。私の五感で感じられなかったから、そう申し上げてるだけです。

 

あなたは、和風建築の民家の中で飼ってる猫が、特にふすまの上を一点凝視してるところを見たことはありませんか?猫は普段から挙動不審の一面があって、それを見た飼い主さんは「ああ、また何かやってらぁ、何にもないのに見つめてる」と思ってるかもしれません。猫は普段からツンデレで、挙動不審なところが可愛いのであって、詮索するなんて野暮なこと。かまってちゃんに変貌してくれるわけじゃない(日常からツンデレ)から、ともすればスルーされ勝ちな仕草です。でもこれは、人間には見えない色を見つめてるんだそうです。猫にしか見えない色。猫の目には、この世界がどんな風に見えてるんだろうか?興味は尽きません。

 

空はなぜ青い?宇宙はなぜ黒い?空の青は水素の青だそうです。水の正体は、酸化した水素。水素は元はと言えば青いのか?宇宙の黒は赤方変移の極端なやつのせいだそうです。救急車のピーポーが通過した途端低くなるのと同じ理屈だそうです。宇宙が黒いことが、宇宙が膨脹し続けてる証拠だそうです。

じゃあ、空の本当の色は何だろう?宇宙の本当の色は何だろう?

 

お互いに第一印象が良くて、すぐに付き合い始めた、という恋人同士の人をテレビの中でよく見掛けます。若い頃には「くそっ!悔しいな、羨ましいぞ!いまに見てろ、いつかは俺も」なんて思ったものでした。だけど今では、トシの仕業か微笑ましく思います。他人事なのに今後の彼らの行く末に思いを馳せたりしています。「もう俺はこの世にはいないけど、頑張ってどうかなんとか幸せになれよ」見知らぬ人なのにこう思います。トシ老いたおかげで心が広くなった?許容範囲が拡大した?いいえ、決してそういうわけでもありません。仲良くしてるカップルを目撃すると、なぜか「儚さの匂い」を感じてしまうのです。感じてしまった儚さにただ抗いたい(あらがいたい)のです。とっとと別れろ、なんて不幸を願ってるわけでもありません。さすがにそこまでは思いません、見知らぬ人なのに。

私はこう思います。この人たち、来年もカップルかな?3年後もカップルかな?30年後もカップルかな?流れでくっついた人もいるだろう。第一印象でくっついた人もいるだろう。第一印象って何?

私は、第一印象とは、見た目じゃなくてにおいだと思うのです。におい?いいにおいが永遠?新しい魅力の発見があればいいけど。においだけではいつまでも続くはずがありません。カップルでいられるはずがありません。彼女は彼は「第一印象」という名の、匂わない匂いに惑わされたのです。惑わされて、幸せだったのか幸せじゃなかったのかは知らないけど。

 

昔どこかで、聞香室という言葉を目にしたことがあります(読めなかったから目撃談)。香りは聞くもの?私がまだ若かりし頃、礼儀作法のひとつの手段として、茶道でもなく華道でもない「なんとか道」という作法を習う手法の道具で、聞香炉(ききこうろ)という道具の名前を聞いたことあります。ならば今日見た聞香、これはどういうふうに読むの?確か、小規模な化粧品メーカーの開発部の中の、におい設計をするところの、薬品調合室のことでした。入り口に小さく「聞香室」と書いてありました。「ききこうしつ」でなければ何だろう?においは聞くもの?ちょうこうしつ?ちょうこうとちょうごうの一文字違いなら、調合室でもいいんじゃない?

 

昔どこかの誉れ高きフランス料理の料理人が出演してたテレビ番組で、こういう言葉を耳にしたことがあります。「料理の真髄は目にある」。食いもんは目で食え、ってわけ?土井よしは某という和食評論家(お父さんも同じ職業だったはず)の口からも時々聞いたような気がします。言いたいことはわからなくもないけど、俺と俺の目は、フランス料理なんて食わないし、高級和食も無縁だな。そう言われれば、日常使いの食器でも、重ければ重いほど「もっと軽いほうがいいなぁ」と思う癖に、軽ければ軽いで「何だかありがたみに欠けるなぁ」と思ったものでした。

昔どこかの骨董品店で、こういう言葉を聞かされたことがあります。「焼き物の声を聞け。景色について語ってくれる」。茶碗が風景について解説してくれる?喋る?恐いぞ。言いたいことはわかるけど、茶碗は、見て、触って楽しむものじゃないの?

昔どこかで、草刈り機を振り回しながらとある空き地で草刈りをしてた時のことです(友人の足も刈っちゃった)。一面に漂う葉っぱのにおいについて、田舎の地主のおじさんが、こう教えてくれました。あれは、葉っぱの断末魔の叫びだ、と。現在では、学術的には証明されてないんだけど、あのむせかえるような葉っぱの匂いは「植物同士の伝達手段ではないか」と考えられてるそうです。おじさんの実体験と最新学術とちょっと似てるな。しゃべらないはずの葉っぱがしゃべる?匂いでしゃべる?おじさんは「この前農協の人に笑われちゃったよ」と笑ってました。

 

今回のブログはこれでおしまいです。今回も最後まで読んでくださいましてどうもありがとうございました。次回のブログのテーマは「スマホ禁止」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。