こんにちは。ご機嫌いかがでしょうか?私はまあまあ元気です。最近のニュースは「イランに対してアメリカが軍事作戦実施」、うんざりするぐらいこればっかり。ウクライナに向かって4年前にロシアがやったことと同じ?4年前から今に至るまで、決して「戦争」とは紹介してくれません(「戦闘」だとさ)。現場感たっぷりに傾きながら発射されるミサイル、市街地に突然モクモクと立ち上る黒煙、何かが飛んで来たせいで不自然な形で崩れ去ったビル、見慣れてしまった風景です。これって「作戦」なんかじゃなくて「戦争」じゃん。イスラエルとアメリカの身勝手さ加減に日本も迷惑してます。主人公たるイスラエルの姿は少しも見えず、やたらアメリカだけがクローズアップされてます(世界大戦を懸念して?)。遠く離れたアメリカは、こんなややこしい地帯にどうして手だししたのだろう?グリーンランドはどこ行った?イスラエルに借りでもあるのかな?弱味でも握られてるのかな?金の力かな?昔からこうだ。でも、日本は戦争反対しない、できない。日本にとってアメリカは「絶対的に正義」だから、楯突くわけにはいかない。間違うなんて考えられない。アメリカの意見が正しくあってくれと頼んで拝むしかない(なさけない、でも仕方ない。米軍に撤収されたら日本は中国に乗っ取られる)。報道陣は思います。そうだ!いいこと思いついた、これは全部トランプのせいだということにしておこう。だってあいつは一方的にではあるが気にくわないやつだから。こうこうこうやって放映する番組を組み立てて流しておけば誰もが信じるはずだ。
これを書いてるのは2026年3月11日です。今後、状況は変わるかな?変わるだろうな。変わったらごめんなさい。古かったです。しかし、皆々様、テレビは本当のことは言わない、と思ったほうがいいかも知れません。…その上私はへそ曲がり。私にはこの「イラン爆撃(彼ら流に言えば作戦)」は、「アメリカ自身の、石油利権の独占継続したさ」と「アメリカイスラエル両者の読み間違い」にしか見えません。イスラエルの読み間違いは、イランに住んでいるのは、彼らにとってあまりにも憎きアラブ人じゃなくて、ペルシャ人(時々クルド人、クルド人だからややこしい)です。ペルシャ人って、思っているよりしつこいです。クルド人って、言葉は強いが思っているより諦めが良さ過ぎます。はっきり言って弱すぎます。一方、アメリカの読み間違いは「トップを消したらその国はすぐに潰れる」と思っていたことです。イラクのフセイン、シリアのアサド、ベネズエラのマチャド、だけどイランのハメネイを消したのにやつらは例外、イランは案外しつこい。
石油利権のことですが、石油利権はアメリカにとっては生命線です。石油販売決済はドル建てに限るとすればいいのです。軍事力を見せびらかして60年前にキッシンジャーが強権発動しました。「石油は全てドル決済」。これさえあるといつまでも限りなく「石油が欲しい他所の国」にドルが売れます。カネがない国にはアメリカ国債。国債を買って貰えるから借金も出来ます(日本はこれを真似たやつの変化形、石油なんかなくても国債発行しまくり、ただ円で決済できないだけ)。今更MAGA(アメリカは再び偉大なり)なんて言ってますが、言いたくなる気持ちはわからなくもありません。これを失うとアメリカと言う国は借金まみれで潰れます。それなのに元決済で手だしして来るのが中国。これも軍事力背景です。元決済出来たら儲かるのです。その分アメリカの儲けは減ります。だからAgainなのは当然です。世界に於ける原油の最大輸入国は中国。中国にとって最大の石油輸出国がイラン。かつての2位がベネズエラ。かつての3位がイラク。核開発なんて言い訳、我々に対する目眩ましです。ベネズエラの石油が欲しいのではなく、ベネズエラの石油を中国に持ってかれたくないのです。テレビでは言わないでしょう。別にイランに借りはないけれど、私はイランの人々の無事を願います。そうでなければ「第3次世界大戦まっしぐら」。巨神兵が暴れ回り王蟲が出現、地下には腐海(ナウシカの読み過ぎ)。
イランといえば宗教革命。かつてにも申し上げましたが、私は「自称・ほぼ無宗教の人」です。片足を突っ込みかけたことさえありません。特定の誰かを信じる気にはなりませんでした(今でも)。だけど、若い頃から興味だけはありました。どうしてなんでしょうかね。そこで、今回のテーマは宗教用語(キリスト教)の「7つの大罪」です。
唐突にお尋ねしますが、あなたは神父と牧師の違いをご存知ですか?「何だ、縁もゆかりもない異宗教のお坊さんの話しか」なんて言わずにお考えください。答えは単純かつ明快です。「神父(時に司教)」はカトリックの、「牧師」はプロテスタントの宗教家(お坊さん)です。彼等には洗礼時のミドルネームの名付け親という役割・意味もあるそうです。大抵の場合相手は赤ちゃんだそうです。…やっぱりと言うか当然と言うか。
ミドルネームをつける時には宗教関係で有名だった人にちなんだ名付け方が多いようです。我々日本人にはミドルネームなんて全く馴染みがないですね。ビートルズのポール・マッカートニーの本名はジェームス・ポール・マッカートニー。おとうさんのファーストネームもジェームスだから(同じ名前であることを法律で禁止してないんだなぁ)それと区別するために幼少期からミドルネームのポールとよばれてたようです。かようにもかの地ではもうひとつの名前(ミドルネーム)に馴染みがあるのですね。
キリスト教ついでにお尋ねしますが、教会でお祈りの時に歌われる歌の呼び名をご存知ですか?その答えは、「聖歌」と呼ぶのがカトリック、「讃美歌」と呼ぶのがプロテスタントです。ビートルズついでにいえば、彼等の「エリナー・リグビー」という曲には「ファーザー・マッケンジー」という一節が出てきます。ここで使われていた「ファーザー」が神父の意味です。ちなみに牧師はパスター、他さまざまな呼び方があります。うーん、神様の父?こりゃまた随分「マウント取りまくり」の呼ばせ方ですよね。・・・ところがこれは、カトリック勢力(ローマ法王庁)がそう呼ばせたわけじゃなく、神父とは中国語での呼び方に由来した言い方だったみたいです。翻訳する時に、教会関係の書物に「ファーザー」と書いてあるのを見て、「お坊様」と翻訳してみたけど、それでは当たり前過ぎるし「父」だけでは何となく通用しにくいから、頭に神を付けてみた。すると「神樣のおとうさん」になっちゃった。ま、いっか(中国はまいっかがことのほか多い)。…このようにして「神樣のおとうさん」は突然我々の目の前に飛び出して来たのです。飛び出ししたら危ないよ、轢かれるよ、横断歩道は手を挙げて渡りましょう(気付かないけど、気付いても気が付かなかったフリだけど、まるで人生みたいだ)。これを「ゴッド・ファーザー」とやってしまうと、それは「ヤクザの親分」という意味になるそうです(映画かよ)。ファーザーがいるから、マザーもいます(マザーテレサなど)。
だけど私は「おやっ?」と思います。ファーザー?神父?カトリックかな?イギリスってカトリックの国じゃないんじゃなかったんだっけ?(そのように習った。現実にイギリス国教会というのがある)。カトリックがいやだからピューリタン(清教徒)が生まれたんじゃなかったっけ?ちょっと気になって調べてみたけど、どうやら私が思ってたような「ピューリタン=プロテスタント」というわけじゃないみたいです。自分の見識が間違ってました。むしろ「ピューリタンとは、カトリックの制度体制がいやだから生まれた、カトリックの亜流」と考えたほうがいいそうです。習わしや行事はカトリックを踏襲してるみたいです。だから「ファーザー」なのかぁ。現在のイギリスでは、いろんな流派(長老派、ロシア正教、プロテスタント、イギリス国教会、カトリック)が混在してて、一概に「マッカートニー一族はお坊さんをファーザーと呼ぶ一派」だとは言い切れないんですけど、その一派である可能性は高いようです。その地(ウェールズ)は清教徒の比率がかなり多い土地柄だそうです。「なるほど、だからそうなのか」とまでは申しませんけど、いやあ、ファーザーであることの数十年来のなぞが今解き明かすことができました。脱線ついでに「礼拝」をれいはいと呼ぶのが仏教、らいはいと呼ぶのがキリスト教です。
私はかつて一度だけ、名古屋市内のキリスト教の「布池教会」の日曜礼拝に、その当時勤めてた会社の後輩の女の子に連れてってもらったことがありました。布地教会はカトリックの教会でした(そんなことも知らなかった)。連れてってくれとは、私のほうからお願いしました。私もその子もその当時まだ独身、端(はた)から見れば「どこにでも居そうな若いカップル」に見えたかもしれません。でも、その子との二人っきりのデートに興味があったわけではありません。恋愛感情は全くありませんでした(下心満載の俺にしては奇跡的)。教会というところが、どのようなことを教えてくれるのか、そこで何が行われているのかを、ただ純粋に知りたいと思ったからです。その子は多治見教会に所属する信者でした。洗礼を受けている彼女と受けてない私とでは、お下がりのパンの欠片(かけら)を貰えるか貰えないかの違いがありました。風の便りによると、彼女の現住所は愛知県春日井市小野町(同じ市町村だけど端と端だから結構離れてる)、現在60才のはずです。結婚して3人の子供に恵まれたそうです。見た目も性格もかわいい子だったから、あの時俺が「何とかならないか」とお願いしてみればよかったかな。彼女には交際中の彼氏がいました。私も知ってました。教会同行も彼にことわりの一言を入れました。二人は結婚するもんだと思ってました。(結果的に違う人と結婚したけど)今や俺はズタボロ。はい、冗談です。そんなことは置いといて。その当時私は、何か特定の宗教に傾倒してたわけではありません。今でもそうです。しかし私はある特定の宗教に傾倒してる人の人間性をかなりの点でリスペクトしてました。世間一般で言うところの「人格者」である場合がなぜか多いんです。古い宗教とか新興宗教とかでの差はありません。このような人格者を大量に生み出す組織とは、いったい何を教えているんだろう?信心による「うさんくささ」を除けば、いい人ばかりじゃないか?何とかして俺もそれを掴みたい。ただし、入手することと引き換えに入信させられることだけは御免だけど、是非とも手に入れたいもんだ、と長いこと思ってました。一言で言えば「興味があった」そういうことでしょう。そして、訪ねて行った布池教会で初めて聞いた言葉が「7つの大罪」でした。
あなたは「アニメ・7つの大罪」をご存知ですか?テレビアニメではありません(そういうテレビアニメがある。声優はなかなか豪華)。アニメ映画でもありません。劇場の舞台公演でもありません。
その内容を私は、今でもはっきり覚えてます。一瞬で暗記できました。
「7つの大罪」とは
・傲慢(高慢)
・嫉妬
・怠惰
・憤怒
・強欲
・色欲
・暴食
神父樣の説明(説教)によると、この7つが「人間を堕落させる根元になりうる要因」すなわち「7つの大罪」だそうです。これらに囚われてしまうと、時には天使(エンジェルもしくはキューパイド〔=キューピッド〕)さえ、悪魔(デビルもしくはサターン)に変えてしまうそうです。ご存知でしたか?悪魔はもともとは天使だったそうです。堕天使という言葉を聞いたことはありませんか?天使が堕落して悪魔に身を売ったやつを表す言葉だそうです。
普通ならここで7つの大罪について、7つとも「ひとつひとつ挙げた項目について詳しく解説して行く」ところですが、実際に「まずはひとつ目」と、傲慢について書き始めましたが、ありきたりの文章かつ、もの凄い長文になりそうな気配だから、あわてて消去しました。ここでは反対語だけ明らかにして「反対語の指し示すふうになることがよろしい」と教えてくれようとしてるのだ、ということにしてください。それでもなお、充分なインパクトがあると思います。
・傲慢(高慢)↔謙虚
・嫉妬↔感謝
・怠惰↔勤勉
・憤怒↔忍耐
・強欲↔慈善(寛容)
・色欲↔純潔
・暴食↔節制
反対語を書き連ねてみましたが、こうやって眺めて見ると「なるほどなぁ、そうやって人格者が形成されるのか」と納得できます。一通り「人間の理想像」になってます。理想像が理想だとは言い切れないこともあると思うんですけどね。没個性はあんまり宜しくないと私は思うのです(自己弁護か?)。しかし「こういう心掛けで居なさい」と教えてくれてるなら、そりゃ人格者も大量発生することでしょう(信じれば)。だけど、納得できるところもあれば「それは言葉足らずじゃない?」と思うところもあります。
例えば「嫉妬↔謙虚」は、謙虚だけでは言葉が足りないとは思いませんか?バチカンのローマ法王様に向かって盾突くつもりか?なんて不敬な!と言われたら、「はい、もの凄く不敬です」と開き直ることでしょう(なぜなら私は仏教徒、しかも限りなく無宗教に近い)。私だったら「嫉妬↔徳を積む」と言うところでしょう。あなたはどう思いますか?
それに「色欲↔純潔」にも違和感を感じます。純潔ぅ?カトリックらしさ満載だ。世の中はカトリックだけで出来てるわけじゃない、色欲↔自制的な性欲じゃないの?ここで純潔とやったら、「色欲=性欲だ(本当は=じゃない)。そうすると、性欲は悪に等しい」になっちゃうんじゃない?生物の最終目的は種の保存のはず。種の保存のためには性欲を否定してはダメなんじゃない?カトリックの価値観の押し付けなんじゃない?・・・と思います。
7つの大罪とは、聖書の言葉ではありません。あくまでも聖書の言葉に新しい解釈を加えたもので、それに対するカトリック公認の「見解書」というものもあるそうです。新しい7つの大罪というものもあるそうです。新しい7つの大罪とは
・遺伝子改造
・人体実験
・環境汚染
・社会的不公正
・人を貧乏に陥れる
・無駄に金持ち・もしくは守銭奴
・麻薬中毒
これらは現実に即してます。だけど、尊敬すべき精神性は失われてしまってます。私が求めて止まぬものは高い精神性だったのです。現代の7つの大罪では、そんなものは失なわれてしまってます。そこに行けばそんなものがあるなんて所詮夢かもしれません。
このようにして幸いにも私は、知りたかったことを知ることができました。彼等は自分の人格形成のために、お手本を準えてみた(なぞらえてみた)だけです。明記されてるわけでもないだろうけど、みんなの挙動言動から、自ずから(おのずから)滲み出してるものだと思います。そりゃ大量発生もするよ。「自ずから」か。人の運勢は「所属する組織の良し悪し」で決まるものかもしれません。そして「より良い組織になるための努力」をみんなで一緒にしないといけないかもしれません。
今回もまた、果てしない長文でした。7つの大罪の7つをひとつひとつ解説していようものなら、この2倍の長文になっちゃうところでした(ギリギリセーフ)。これに懲りずに次回もどうぞよろしくお願いいたします。次回のブログのテーマは「ペリーさんやザビエルさんは何しに来たの?」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。