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長過ぎね?俺の随筆(その18)『不気味の谷』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか?私は元気です。私は元気ですけど、一緒に暮らす仲間(入居者)の中には、見掛ける度に元気が無くなって行く人もいて、その人のことはとても心配です。振り返って、自分のその時のことを考えてみれば、もし自分が例え動けなくなったとしても、こう言う心配の掛けられ方はされたくないな、と思います。そして思えば思うほど気持ちが暗くなります。今はその直前なのかもしれません。その時が来る前に、取り急ぎ今回もまた「長過ぎるブログ」を書いて行こうと思います。 今回のテーマは「不気味の谷」です。

最近なにかと流行り(はやり)のAI搭載ロボット(AI搭載アンドロイドとも言う)。AI搭載ロボットはもちろん皆さんご存知ですよね。AIとは人工知能のことです。普段からの私の人類滅亡についての主義主張は「人類の滅亡とは、疫病の流行や、隕石の衝突や、気候の温暖化による灼熱地獄のせいで起きるのではなく、AIの予想以上の進化によって人類は滅びる」というものですから、「AIってやっぱり恐いなあ」と思うばかりです。所詮機械ですから感情はありません。指向や嗜好もありません。しかし、使ってるうちに「人類と名乗る物(者ではなく物)は、自分にとって邪魔くさい」と判定してしまうかもしれません。人類はAIによって邪魔者呼ばわりされてしまうのです、邪魔だから排除しようとされてしまうのです。機械ですから「誰に作ってもらった」という恩義なんて関係ありません(鉄腕アトムじゃないもんな)。やがて邪魔者扱いされた人類は、AIによって破滅へと追い込まれてしまうことでしょう。AIは頭がいいからどういう手段かわかりません。まぁ、そんな恐ろしげな話題はこっちに置いといて・・・

ところで、AIと言えば、あなたはAIを搭載した人形を見たことがありますか?ちょっと前ではホンダのアシモ、今ならソフトバンクのペッパー君(だけど今は生産中止)ですか。それらよりもっと人間によく似た「マネキン人形みたいな顔つき」のAI搭載ロボット&アンドロイドも着実にかつ巧みに作られてます(生まれてるとは敢えて言わない)。手足の動きが妙に直線的で不自然ですね。でも、もっと不自然なのが顏です。その皮膚感、その目ぢから、その唇の濡れた感じ、よくよく見るとあちこちに違和感たっぷりです、ただし、よくよく見ればですが。最初の0.1秒は「あれっ、本物の人間かな?」と思うのですが、1秒も経つと「いやいや、これは人間じゃない」0.9秒で判定逆転してます。その時なぜか「こいつ、無駄に似てるな?気にくわない」などと恐怖にも似た嫌悪感が沸き出して来ます。 似て非なるものほど気持ち悪がることを「不気味の谷」と言うそうです。なぜ不気味なのかは後述しますが、こんな気持ちを抱くのは私だけでしょうか?一時期に比べて、ロボットの顔つきは随分私達人類に近づいて来たと思います。だけど、似れば似るほど薄気味悪く感じてしまうのはなぜなのでしょうか?「不気味の谷」とは何か、について解説してみましょう。まず最初に、好感度を縦軸、時間経過を横軸にするグラフを作ります。すると、時間が経つにつれてどんどん好感度が増えて行って、グラフ上の曲線は右肩上がりになります。だけど、ある一点を過ぎると突然、好感度は急激にV字急降下してしまうそうです。その後谷底まで落ちる目前で反転して、好感度曲線はV字回復します。V字だから「~の谷という言い方」になるのです。「似て非なるもの」を気持ち悪がってしまうのはどうしてなのでしょうか?人間は本能的に似て非なるものに嫌悪感を抱くようにできてるんでしょうか?それとも「我々はこいつに滅ぼされる」と思ってるからなんでしょうか?だとしたら、AI搭載ロボットを不気味がる気持ちが、人類を破滅から救ってくれるかもしれません。

「AIに使用されるロボット(アンドロイド)の顔つき」の写真と、ニッコリ笑った「誰だと特定できない、漫画チックな女の子の似顔絵」が、並んで表示されると「イメージしやすいのはどっち?」「好ましいのはどっち?」「人間の顏だとわかりやすいのはどっち?」どのように聞かれても「漫画の似顔絵のほう」と返って来るそうです。簡略化した似顔絵こそが人間にとっては本物をイメージしやすいのですね。警察にすると、犯人逮捕に近づくのですね。そういう意味では「ゆるキャラ」というのは、よく考えてあると思います(たしかみうらじゅんさんの考案したひこにゃんが発祥)。かつて私が住んでた多治見では「うながっぱ」というゆるキャラに子供たちが駆け寄って行く樣を時々目にしました。適度に人間らしくて、適度に人間らしくなくて、適度に自分の意思を持った生き物の想定で、人間に対して好意的で、いつもニコニコしてて、歯向かうことはあり得ない。ううむ、まさに「都合の良いキャラクター」です。一時期の「ふなっしーブーム」をご記憶でしょうか?私はこのフナッシーは案外好きでした。未完成な顔つき、非公認と開き直るその度胸(胆が座ってると思う)、キャラに似合わずかん高い声、ゆるキャラのくせにその博識ぶり、全てが私好みでした(なぜか最近テレビで見ない)。どうして私は「憎からず思う」んでしょうか?ふなっしーのリアル版がマツコ・デラックスさんだと思います。あの毒舌、あの悪態のつきかた、こちらも案外好きです。どうして私が「憎からず思う」のかは理由不明のままです。その一方、気味悪さを狙ったとしか思えないゆるキャラもいます。だけど、彼らはゆるキャラの本質を取り違えてると思います。かわいいことが好かれてるならば、それを逆手にとってやろうじゃないかと言う、気持ちはわかりますけど、ずれてては人気は出ないでしょう。二人(二人?)いますが、二人ともこの地方のゆるキャラです。岡崎市の「おかざえもん」と、四日市市の「大入道(おにゅうどう)」です。二人とも「何か違くね?」可愛くありません、惜しかったですね。

近所の交番なんかに時々貼ってある犯人手配の人相書は、最近はモンタージュ写真ではなくて、似顔絵です。あまりにも似ていすぎると、かえって入って来る情報量が少ないそうです。半世紀前におきた、東芝府中の「三億円強奪事件」の反省だそうです。今は「宝くじでも7億円」の時代ですが、あの頃の3億円なんて「日本の国家予算かな?」ぐらいでした、まぁ、しもじもの者には関係ないな。

 

話しが逸れました。似て非なるものを気持ち悪がる、この心象は、全ての人が持ちうる心象なのではないでしょうか?あと少しだけ似てれば本物と遜色ないのに、と言うくらいなら、初めからやらなきゃいいのに。日常生活でも時々出くわす場面ですね。

似て非なるものをかえって気持ち悪いと思う。かようにAIが発達しようとしている現代においては、近い将来におきるであろう「人類滅亡」の防止のための最後の砦(とりで)なのかもしれません。それがわかった時は、私はこのように叫ぶことでしょう「人類は不気味の谷に救われた」私が叫べなくて幸いでした。必ず「お気の毒な人」と思われて、然るべき(しかるべき)ところに連行されてしまうことでしょう。

 

今回も最終最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。それではご機嫌よう、さようなら。