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長過ぎね?俺の随筆(その27)『お買い得はいいことなのか』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。如何お過ごしでしょうか?笑って暮らせてますか?しばしば言われるように笑って暮らすのが一番です。でも、かくいう私は相変わらずぶっきらぼうです。わかっててこれだもんな。持って生まれた習慣は簡単には改められないものですね。いかんいかん、そんなことぼやいてる場合ではない。それでは今回も長過ぎるブログを書いてみたいと思います。今回は「お買い得はいいことなのか」というテーマです。時事問題と言えるかなぁ、ちょっと違うか。経済のからくりをできるだけ平易な言葉で書いてみたいと思います。よかったら最後まで読んでみてください。

 

最近の日本の経済的傾向は「お買い得なことはいいことだ」に集約されると思います。供給側(製造業販売者)は製造原価節減 (人件費を含む) に、また消費者は支出削減に、めちゃくちゃ振り回されています。テレビを見てても「このレストラン、やすーい」「このお野菜の詰め放題、やすーい」「このお洋服、可愛いのにやすーい」「この賃貸マンション、広くて駅チカなのにやすーい」など安価称賛のオンパレードです。安いことこそが正義だ、とでも言わんばかりです。そう、安いことが正義、そんな世の中です。

 

確かに安価を追求するのは生活防衛のための自助努力ですが、私は、消費者の立場でも製造販売者の立場でも両方とも「助けるフリして、他人(ひと)の首も我が首も共に絞める」になってしまってると思います。自分の首を自分で絞めてますが、ついでに相手の首も絞めてます(手が4本?化物?)。そう言う意味では「助けるフリして○トゴロシ」ですかね。見てる者はあまりのことにあっけにとられてしまいます。

お買い得はいいことばかりではないと思います。むしろ「良くないこと」だと思います。お買い得が社会的正義になってしまったら売る側はこうなります(買う側はただ嬉しいだけ)。「あの店には負けたくない、そうだ、安売りで対抗しよう」の連鎖になって、平均販売価格が低下してしまうのです。不本意ながら「安く買い物ができる日本」になってしまいます。対抗措置が安売りぐらいしか思いつかないのです(かく言う私もポイントカードか安売りしか思いつかない)。薄利多売にシフトします(せざるを得ない)。しかし客が少なくて思いどおりの「多売」が出来ません。そして、この「薄利」がまずいのです。薄利少売だと販売価格が低下して、例え売れても売れても販売店が儲からなくなります。全体的には少子化のせいで客数も減ってます。収入減の影響で客単価も減ってます。だから「爆買い」がありがたいのです。ニュースになり得ますね。それは「多くの人がありがたい」からです。爆買い一人で人口増加が一人あたり10~20年分だそうですからね。そんなことはどうでもいいとして。

販売店が儲からないと、従業員の給料が上がりません。給料が上がらないから、買い控えが誘発されたり、お買い得は社会正義という風潮が生まれます。販売店は内部留保だけはしっかり溜め込みますから、ちょっとやそっとの値下げではへこたれません。倒産しません。そしていつまでも薄給生活は続くのです。新たな職探しも面倒ですし、今の仕事への愛着やプライドもあります。おいやそれとは転職できません。昨今は大企業を中心に「賃金引き上げ」の気運が盛り上がって来て、テレビニュースなどを見てると「○○○労働組合の春闘賃金引き上げ要求に対して、会社側が満額回答」と、明るいニュースが流れてます(政府がそう言ったからかなあ)。「非正規労働者の賃金上昇率が正社員の給料上昇率を上回った」というニュースも明るい話題です。こう言う話しを聞くと、気分的に高揚しますね。「行けー!そのまま」、私の30年に及ぶ社会人生活の間にはなかったことです。気分高揚は良い事なのですが、実務的にはこれを零細企業まで浸透させることはまだまだなかなか難しいと思います(末端まで上がる理由がない)。私も「金属機械労働組合」の構成員の一人だったこともありましたから(わが社の労働組合の上部団体が金属機械だった、上納金が高かった)、賃上げニュースに触れると思わずニッコリしてしまいます。だけど、今回の春闘の満額回答の資金源をどうするつもりなのかは知らないけど、企業にとっては内部留保のほうが従業員の給料増加よりも大切だから、わずかばかりの利益もそっち方面ばかりに金が流れて、給料がちっとも上がりません。・・・どうですか?悪循環の無限ループ。お買い得こそが諸悪の根源なのです。

 

「借金はいけない」という考え方も景気後退現象を助長してると思います。確かに「ろくすっぽ収入もないのに、借金して外車を買って夜な夜な乗り回してる」は確かによろしくありません。しかし確実に定期収入が見込める場合は、借金という名の金の循環もあるいは望ましいことなのではないのでしょうか?貸したほうは確実に儲かります。借りたほうも新しい購入によって満足度が上がります。 更に新しい購買意欲が触発されるかもしれません。

つまり「いかほど安く買うことができたか」が重要なのではなく「いかに満足できる商品を買えたか」が重要なのです。競走にだけ踊らされて本質を見失ってはなりません。・・・でも「言うは易し行うは難し(いうはやすしおこなうはかたし)」なんですけどね。

 

「貯金の奨励」最近では聞かなくなりましたが、「貯蓄」という言葉はしっかり私の体に刷り込まれてます(お金だけじゃなくモノも溜め込む、捨てられないよう、いつか使うの「いつか」はいつ?)。景気の見込みがいい時は確かに貯金は良い行いなのですが、景気の悪い時は逆効果です。お金が貯蓄にまわるから、市中の貨幣量が減る(たんす貯金が最たる例)。貨幣量が減るから、流通させるための金を回したくても回せない。回りやすいように貨幣量を増やす。貨幣量を増やすと貨幣価値が下がってインフレを起こす。インフレだからものの値段が上がる。値段が上がったから買い控える、安売りしてる店に走る。悪循環です。

先程「内部留保」という言葉を使いましたが、内部留保とは一言で言うと「会社の貯金」です(厳密に言うともっと様々ある)。コロナによる売上げ減に各企業が耐えたのもある意味ではこの内部留保のお陰です。私は最初は「もっとたくさんのお店が潰れる」と思ってました。零細企業や小企業ほど打撃が大きいのです。内部留保、あったんですね。流石ぁ。・・・・と褒めてる場合じゃありません。ある意味恐ろしいです。このコロナ禍に懲りてますます各企業は内部留保に走るでしょう。ますます景気は好転しないでしょう。

内部留保と信用は表と裏です。内部留保額が増えたら信用は下がります。内部留保ばかりしていると銀行は「こいつら、何考えとるんじゃい、借りたくないなら貸してやらん」とばかりに金を貸してくれなくなります。貸し渋りがいかに景気のためには悪いかは、皆さんバブル崩壊の頃に経験済みだと思います。新しい稼ぎ手段である「設備投資」が出来なくなります。設備投資さえして貰えたら稼げるはずの会社も売上げゼロです。会社は潰れないけど、給料も上がりません。お買得に走ります。これも悪循環です。

 

この文章を書いてる時に大騒ぎしているのですが、防衛増税も「えっ?まさかのこのタイミングかい?」と皆さん思ってるのではないかと思います。100年後に見れば「ああ、あの時しかなかったね、総理大臣ナイスプレー(岸田さんか)」という評価になるのかもしれませんが(同じくらいならないかもしれない)、どういう理由なのかわかりますか?

最近では中国による海洋進出や領土現状変更など、ますます我が国の軍事力の増強が望まれる世相です。でも日本国は憲法上「軍事力を持つことにする」などとは言えないから、遠回りな言い回、かつ余分に金がかかる「防衛」というワードを引っ張り出さなければならなかったのです。でもそのお金はどこに?5年で40数兆円ですって。

まさか、落ちてるはずがありません。誰かがくれるはずもありません。紙幣を印刷しまくるわけにも行きません(インフレになる)。手段は貯金を取り崩すか、クラウドファインディングするか、借金するか、増税するかしかありません。軍事力補強は確かに今こそ必要なものです。だけどお金の出どころをどうするか?貯金はありません。寄附を募るのもあり得ないことです。残る「国債」か「増税」かで揺れたけど、岸田総理が出した結論は増税でした。この文章の段落の始まりで「このタイミングかい?」と申し上げましたが、実はあれは「否定的な意味」ではなかったのです。今、この決断をしたということは、経済学の観点から見ると「逆転の発想。おおいにそれもある」という考え方なのです。セオリー無視はしたくないけど、国民の関心が金のかかる方向に向いてる時は、セオリー通りに行かないものなのです。この考え方が主流だ、とは言いません。それでも、世の中の勢は大衆で決まる、という意見です。雰囲気はセオリーを凌駕する、というものです。だから大衆迎合がちっともなくならないのです。これは立派な経済学理論です(使う言葉はもっと気難しいけど)。大多数の国会議員が出した反論は「国債で賄うべき」でした。地元の反応が怖かったのでしょうが、もう1つあります。私は経済学者なんかじゃありませんが(そうだそうだの声がする)、経済学者の視線で申し上げます。

一般的にこのように言われます。これが先程から申し上げてる「セオリー」です。

1・世の中の景気の見通しがやや暗い時は増税すべきじゃない。人々は負担を感じてしまって景気減速してしまう。

2・はっきりと景気の悪い時は絶対に増税すべきじゃない。負担感のあまりに手のつけられない暴動が各地で発生してやがて国が倒れてしまうかもしれない

3・景気のよろしい時ほど増税すべきだ。懐具合の穏やかさに浮かれて誰しもが「このままで行ければ」と夢見勝ちたが、経済の引き締めもかなり重要。過熱したら後は破綻あるのみ。

今こそ、逆転の発想が必要なのではないでしょうか。経済学でも「頻繁に起きる」と言われてます。我が国は悉く(ことごとく)明治維新以降、増税のタイミングを誤り続けてきた歴史でした。理屈どおり行かない場合も(こそが)多いです。景気はイマイチだけど仕方ないから増税しようと思ったら、あにはからんや、こんな心理が盛り上がって、びっくりするくらいすんなりと増税が受け入れられた。理屈上増税するなら今、と思ったら、後から振り返って見ればあんなことがあったから、結果的に読み間違えたみたいな形になって、増税は失敗でした。

今の世の中は、決して「景気がいい」とは言えないでしょう。セオリーはとても大事です。セオリーに従うなら「増税すべきじゃない」です。だけど世の中の「防衛マインド」は爆上がり中です。コロナのせいでの値上げラッシュもあります。どさくさに紛れて、というわけではありませんが(というわけです、かな?)、値上げに対して世の中が鈍感になってます。増税するなら今です(失敗すると景気真っ暗)。取り返しはできません。これはある意味「読み」ですから、あるいは大外れかもしれません。でも、経済学的観点から見ると「今こそがタイミング」なのです。

もしも「増税する時じゃない」でも「増税するなら今」でも、増税したら可処分所得が少なくなる、増税しなくても給料は足りない、金が足りないから安売りに走る、という悪循環に落ちます。これだけは仕方ないでしょう。ある意味、お買い得礼賛は構造的なものかもしれません。景気はこのまま、相変わらず悪いでしょう。

 

構造的といえば、近頃盛んに言われてる「貧富の差」ですが、あれは、

資本主義経済

の熟成がもたらす構造的な宿命です。資本主義経済は、その社会が進めば進むほど貧富の差が開くようになっているのです。

全人口の1割ほどが富裕層で、残りの9割ほどが貧困層だとしたら、全世界の富の9割は富裕層に集まり、残りの1割を貧困層で分けあう、という構図があると言われます。儲かる者はますます儲かり、儲からない者はただひたすらお買い得に走ります。それはなぜかというと、手元に僅かなお金があるけど、「商売とか資産運用とかして資産を増やすほどにはまだ足りない」というタイミングで、株式投資に成功するなどとてつもない幸運が訪れて、かなりお金が増えた。増えたお金を元手にして投資を重ねたら更に多くの成功が訪れて大幅な資産を手に入れることができた。それを元手にしてまたお金を突っ込んでみたら、繰り返し成功して莫大なお金を手に入れることができた。いわば「幸運の無限ループ」です。成功しない人がほとんどだけど、中にはこういう人もいるのです。社会の規模が大きければ大きいほどこういう人は増えます。増える構造になっているのです。成功した人は、「もっともらしいご託」を並べますが、その実体内容は「自分の脳内の辻褄あわせ」だけだったのかもしれません。脳が一人で勝手に決めたのです。たまたま運に恵まれただけなのに、自分を特別視したいだけだったのです。金が儲かるからくりも構造だけど、理由を自分に求めたがるのも構造なのです。

貧富の差とは、僅かばかりのの成功者を産む構造と、彼に訪れなかった不幸と、彼に訪れた繰り返しの幸運だったのです。

 

私はテレビニュースを見るのが大好きです。ただボケーッとしてニュースを見てると「どこの局も同じ」のように見えますが、ほんのちょっと背景を知ってるだけで全く違うものに聞こえます。楽しいですよ。この境地に至るまでかなり費やしてしまったのですけどね。ちなみに私はテレ朝系です。経済のニュースは各局様々ですよ。見ていて思わずツッコミます。「そこは違うんじゃない?」。

 

 

いやあ、空前絶後の長文になってしまいました。円高、少子高齢化、これらが経済に与える悪影響についても書きたかった、また今度にします。すみません😣💦⤵。わかっていただけましたか?ものの見方が変わりますよ。そういう世界を書きたかったのです。お許しください。次回のテーマは「時間って何?」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。