menu

長過ぎね?俺の随筆(その48)『異常気象が恒常化する日々と地球温暖化の解決方法の提案』

2025年1月1日
長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。そして、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。また新しい一年が始まりました。齡取ってしまい過ぎたこの身(去年の誕生日以降俺ももう立派な後期高齢者。健常者なら75からだけど要介護1の身障者の俺は65から、あれっ?64からだったかな?)ではありますが、そんなこと言っててはいけないという気持ちはまだあります。今年も若々しく行きたい(生きたいかな?)と思います。

今日もまた良いお天気ですね。遠くまで見渡すことができて気持ちいいですね。いつも晴れてたらいいのになぁ。でも晴れてばかりで一滴も雨が降らないと、お百姓さんが困るしなぁ。どのように心構えしたらいいんだろう?そのうち、気候不順のためにお百姓さんどころの騒ぎじゃなくなったりして(農業従事者の方、お百姓なんて失礼な呼び方をしてどうもすみません、このほうがわかりやすいかなと…)。

そんなわけで今回のテーマは2回目の時事問題の「異常気象が恒常化する日々と地球温暖化の解決方法の提案」です。

 

(1)異常気象の連発とその恒常化によってとても暮らしにくい世の中になった

(2)魚類生息圏の変化による漁獲量激減

(3)農作物収穫減少のため価格上昇で入手困難化、ひいては食料不足

 

こと気候に関しては、最近は「地球温暖化」が激烈過ぎて、冬夏(とうか)の次には春秋(しゅんじゅう)が到来してくれる、などの当たり前のことが当たり前じゃなくなりつつある。雨乞いをしたわけでもないのに滅多矢鱈(めったやたら)に大雨が降る、などの当たり前じゃないことが当たり前になりつつある。そんな昨今です。

 

あなたはこうは思いませんか?

冬は毎年暖冬、さもなくば記録的大雪。暖冬ならば暖かくて凄く助かるけど何か変。スキー場は開場遅れなのにさっさと店じまい。雪の降りかたも何か変。太平洋側の平野部に住む俺には直接関係ないけど、大雪だとちょっと「おっ?大変だぁ」と雪国住まいの人に同情。春はあっという間に過ぎ去って、梅雨入り前から暑過ぎるために連日「今月の観測史上最高気温」を更新。梅雨明けにはもう危険な暑さ。災害級の暑さ(気象庁さんの言葉のパクりワード)によって相も変わらず連日「通年で観測史上最高気温」を更新し続ける。今年更新しても翌年また更新。不要不急の外出は控えましょうなんて、言い方こそ優しいけど、要は「うろうろとほっつき歩くな」と言われてるようなもの。まさかの官製行動規制?戦争でも始まるの?

春はなくなり秋もなくなり、梅雨の末期を初めとする梅雨前線とか、台風なんかにどつき回された秋雨前線の、大雨もこれまた尋常じゃない。線状降水帯?聞いたことない言葉。記録的大雨情報?単語それぞれの意味はわかるけど、それとそれがくっつく時代なの?どういう意味?だけど降らない時は全然降らない。乾燥するあまり「山火事危険」。注意ではなくて危険。都市部では今年の夏もまた節水。つまり最近のお天気は、夏か冬かの両極端と、雨季か乾期の2×2(ツゥーバイツゥー)に分かれてしまった、などと。

 

テレビを見てると、天気予報のコーナーで、気象予報士さんの隣に立ったこの番組のMCさんが「まるで熱帯地域の雨の降り方みたいですねぇ、スコールみたい」。私は、熱帯地域には行ったことがないためにわかりません(私、海外経験ゼロ)。さすがに気象予報士さんは薄笑いを浮かべながら無言だけど、それを見ている私は「ふうん、噂には聞くけど、スコールってこういう感じなのか」と素直に思ってしまいます。スコールの実情は知る由(よし)もないけど、そんな例えを持って来たくなる「気象の違和感」だけは、私にもわかるのです。

国連事務総長様もこのようにおっしゃいました「地球温暖化じゃなく、地球沸騰化だ」。熱いか寒いか(敢えて暑いじゃなくて熱いにした)が顕在化して、やがて日本は、情緒も四季感も何もない国になってしまうことでしょう。

 

「これは二酸化炭素放出のせいであって、二酸化炭素こそが諸悪の根元」と、こんなニュースに溢れてます。だけど私は、「二酸化炭素も諸悪の根元のひとつ」に過ぎないと思います。「根元の全部じゃなくひとつ」と思う理由の詳細は後述します。

もう何年の間、毎日毎日こんな感じだろう?地球自体が具合がよろしくないなんて、私にとっても、誰にとっても大問題なニュースです。なのにそんなニュースを聞き慣れてしまって、最後にはとうとう心が鈍って来ました。敢えて言い訳をさせて貰えるなら、「地球温暖化というワードを聞かされ過ぎてしまったことによってもう慣れてしまった、温暖化するのが当然だ」という気分です。誰か他の人が対処してくれることに期待しよう、国のほうこそが何とかするべきだなんて、悪い意味での他力本願を決め込みます。

私は確かに無力です。車椅子に乗った身障者です。支援なしではとても生きられません(介護士さんにも地球にも支援して貰いたい)。だけど今、もしも私が健常者であり続けられていたとしても、私はこのように口走ったことでしょう。「こんな世間の片隅で俺に何を求める?」

 

「車椅子に乗ってる」も「体は動かせるけど、こんな世間の片隅で生きてる(今の私に言わせたら贅沢な思いあがりだけど、かつては私もこうだった)」も、今一つ自由が利かないという意味に於いて、両方とも本質的には同じです。つまり、身障者であろうと健常者であろうとも、どちらでも地球温暖化に対して同じ心配をしているのです。どういう身体的状況であっても、考えることは同じなのです。しかも文字どおり「言い訳」でくるまれています。言い訳の無限ループです。巧みな言い訳を脳が次から次に勝手に考え出します。言い訳ね。世間の片隅かぁ、車椅子かぁ。でも大切なのはそこ(俺達は無力)かなぁ?そこじゃないんじゃない?もっと大きいことじゃない?・・・・事態の原因を考えた時、自分では何にもしてないくせに。

 

そもそも地球温暖化の原因は、ニュースで言ってたように、本当に二酸化炭素だけなんでしょうか?

 

最近では、二酸化炭素じゃなく「温室効果ガス」と案内するなど、知らないうちに徐々に言葉使いが変化しつつありますが、一般人の我々は未だに昔ながらの印象です。私達は「テレビではあんなふうに言うけど、間違いなく悪者の名は二酸化炭素。温室効果ガスはその言い換えに過ぎないんじゃないか?」なんて多くの人が思ってます。明確に変化したことの説明訂正をされてないためです(気付かなかっただけかもしれないけど)。わかる人だけわかってくれたらそれで結構、わからない人はわからなくてもいい、とでも言わんばかりです。今回は、この「古いイメージ」の二酸化炭素の話しから進めさせていただくことにします。

 

大気中の二酸化炭素の含有量は着実に増えつつあると言われてます。例えば300年ぐらい昔の大気中の二酸化炭素の濃度は、概ね250~350ppmではなかったかと言われてます(確度はイマイチ)。それに対して、現在の大気中の二酸化炭素濃度は400~450ppmではないかと言われます(確度はある)。総じて言えば上昇してますね。昔の二酸化炭素濃度は、その時代の氷に含まれる気泡によって測定します。統計資料によって指し示す濃度は異なりますが、世界的にどこにもこの「概ね情報」しかありません。大切なものをうんぬんするのだから、もうちょっと精度がほしい。

 

どんなものを測ろうとする時でも、すべからく計測器というものは小型かつ簡単に計測できるタイプのほうが望ましいです。その点に於いて、気体に含まれる成分量を測ろうとする時、例えば島津製作所製の気体成分分析装置(ガスクロマトグラフィー)を用いて測定するより、例えば理研計器製や新コスモス電機製のガスセンサ登載の測定器のほうが50倍以上も小さくてしかも軽くて便利です。運搬がラクで、取り回しがしやすいです。

だけど、二酸化炭素を精度よく測定できるガスセンサって、作ろうと思ったらできるけど、選択肢が不完全な2種類しかありません。ガスクロは、イニシャルコスト(初期設備投資)が500倍以上高額(本当)。メンテナンスコストもランニングコストもも絶大で、ガスセンサなら安上がり。だけどガスセンサで測るのはとても困難。新規購入時に高額なのは大変だけど、それ以上に維持管理が困難。ガス検知器(通称ガス検・センサのこと)か、それともガスクロか、どちらかを選択しなくてはなりません。ガス検は測定精度がちょっと心配、細かいところが見られないか測定器に近づけない。その理由とは、対象ガスが化学的に安定してるせいで、ガスセンサに反応しにくいためです。活性ガス(燃えるガス)なら、ガスセンサとして一般的な「接触燃焼式」や「熱線型半導体式」でもやることができたのですが、相手は不活性ガス(燃えないガス)です。ガスセンサとは「可燃性ガスが燃焼可能な濃度にまもなく達する(早期発見を目指す)、そして達した」ということを感じられるセンサなのです。

 

ガスセンサによる二酸化炭素の測定方法は2方式しかありません。その2種類に共通してるのは「対象ガスが燃えないから非防爆でもいい(ガスセンサは防爆が常識、これがなかなかゴツくて高価になってしまって厄介)」ということぐらいで、その機能は一長一短です。

そのひとつの気体熱伝導率式は、扱い易いけど最小測定単位が大きくて、二酸化炭素濃度のフルスケールがppm単位ではなく、%volumeになります。製作できるのは、フルスケール10%vol.か20%vol.か、50%vol.か100%vol.(生ガスで振り切る)の4種類です。しかもアナログ測定。表示はデジタルだけど、測定するのはアナログ。細かいところは読み取りにくいです。ちなみに、1%vol.=10,000ppmです。つまりフルスケールは最少でも100,000ppmの測定器です。これで400ppmを測るから「概ね」なのです。約分すると、昔のオーディオみたいなメーターの100のアナログメーターで0.25から0.4に増えたことを測ってるようなものです。

家畜の屠殺場で使うレベルなら、%vol.のフルスケールで充分なのですが、地球温暖化測定目的でppm単位で測定しようとする濃度では、目が粗すぎます。それに、空気中に含まれるその他の不活性ガスの干渉も看過できません。窒素の熱伝導率は桁違いだから電気的にキャンセル出来るためまぁ何とかなるとして、アルゴン・ネオン・キセノン・クリプトンなどの大気中の二酸化炭素以外の不活性ガスも、どうしても干渉ガスとして作用してしまうのです。アルゴンのフィルターを用いた除去は不可能です(その他のガスも不可能)。

ちょっと横道に逸れますが、ちなみに牛さんの屠殺とは、狭い部屋に牛さんを閉じ込めて、その部屋に狙い値80%の窒素や二酸化炭素を放出(二酸化炭素のほうが窒素より高価だけど、屠殺した後で美味しいらしい)して、酸欠にして窒息させるやり方です。あまり急激に酸欠にすると、牛さんが死に物狂いでジタバタ暴れてしまって(死ぬけど)、怪力のあまりに体がちぎれて大切な売り物であるお肉の味が不味く(まずく)なるのだそうです。逆に、酸欠度合いが不充分だと、牛さんが高山病みたいになってしまって、牛さん自身も長い間苦しむし、お肉の味も最善ではなくなるそうです。そのための濃度管理です。ちょっとの間苦しいけど、いっそのことあっと言う間に一思いに美味しく死んでくれ、ということです。少しぐらいの誤差は大勢に響きません。

話がちょっと逸れましたが、元に戻します。その他に二酸化炭素を測定する方式として、赤外線の透過率で測定する赤外線方式があります。これならppm単位にて測定できるんですが、敏感過ぎて人間の呼気も誤差要因になってしまいます。人間は接近禁止です。測ってるうちは呼吸厳禁で吸っても吐くな、とでも言うのでしょうか?(実は本当に言われた、口と鼻にガムテープ)。アルゴンなどの他ガスの干渉も避けられません。その上、測定機器としてはかなりの大型です。可搬型みたいに小さく作ることができません。自然拡散式のセンサにも作れません。自然拡散式とは(通称は拡散式と呼ばれる)、「ただひたすら待ち受けて、漂って来るガスを検知したい」というやつです。非防爆の家庭用ガス漏れ警報器に用いられます。ガスクロと赤外線式センサは拡散式は製造できなくて、構造的に吸引式しか作れません。だから流量確保も必要。つまり1分で500ml以上が必要。そんなにたくさんの昔の空気?氷の気泡から、そんなにたくさん集められないや。週単位でゼロ点補正とスパン調整も必要です。体重計で考えてみてください。乗ってないのにもう5キロを指してる?これ、壊れてる?同じ体重計に90キロの重りを乗せたら87キロになったよ?5キロ加算して95キロになると思った。これ、狂ってる?このように、計測器は2点調整が必要です。でも、ゼロ点ガスってどうすれば作れるの?合成空気?その時の二酸化炭素濃度はゼロだとしても、その時代の酸素濃度は?アルゴン濃度は?キセノン濃度は?温度条件は?湿度条件は?

スパン調整もしなければなりません。スパンガスも作り方が困難です。このガスを暴露させたら、メーターが1000まで振れるガスを作らなくてはなりません。でもそもそも出発点が0じゃなくて中ぶらりんの400。前提としてその400は正しいとして、それの1000?1000ppmって誰が決めるの?それぞれの気体をチャンバーに混ぜる量?チャンバーに向かってぶっとい注射をしなければならないよ?チャンバーの中も真空にしなきゃならないよ?真空は不可能だとしても、せめてできる限り減圧しなきゃならないよ?実際にやってみるとこれがかなり難しい、「言うは易し、行うは難し」の典型です(やってみたことがあるけど、私には全くできなかった)。

消費電力も少なくはなく、乾電池駆動も夢のまた夢です。可搬型で更に電池駆動じゃないと温暖化目的の二酸化炭素濃度の測定はもの凄くやりにくいと思います。測ろうとする時、ゼロ点ガスとスパンガスは要るはずだね?要るよね?研究所で測るつもりなの?そんなこと言われても「いや、と言うか、はい、そうです、ムニャムニャゴモゴモ」という状態になります。チャンバーなんかを現場には持って行けないから、やっぱり現場の実ガスをガスバッグに採集して来るしかないんじゃない?でも採取したガスバッグの運搬がめんどくさそうだ。膨らませても3~4日もすれば運んでるうちにしぼむ。しかもエア洩れは許されない。許されないけど、膨らんだままの簡易式のガスバッグで気密性を保ち続けることができる?そんなこと無理。いっそのこと、運搬時の震動覚悟(スパンがほぼずれる)で測定器のほうを運ぶか?でも、あてつけかと思うぐらいデカイし重たいし、作動電源にも悩む。サハラ砂漠の真ん中にAC100Vのコンセント、ある?南極点には、ある?ホーン岬は?カムチャッカ半島の火山の真ん中は?エベレストの頂上は?うまいこと精度よく測定することはどの場所でも昔も今も難しいのです。

 

ここで唐突に思い出すのが「二酸化炭素についての京都議定書」です。この場所で衝撃的なニュースが語られました。「二酸化炭素だけが、二酸化炭素こそが、地球温暖化にとって唯一無二の悪者。排出するのを今すぐやめなくては地球が壊れる。待ったなしだ」と方向付けられました。なかなかのショックでした。地球が壊れる?待ったなし?ぞっとするなぁ。

私もこの「唯一の悪者」の方向に長いこと影響を受けてました。だけど、実は今ではちょっとだけ懐疑的に思ってます。ちょっとだけですよ、念のために申し上げますが「完全に疑って」ではありません。

 

ここで、二酸化炭素の「量」と「原因」と「質」についてもう一度考え直してみようと思います。

 

まずは「量」のことですが、実は、二酸化炭素の最大の排出者は人間ではありません。「地中の微生物」なのです。微生物による排出量のほうが、約7倍多いんだそうです。反芻動物である牛のゲップの影響も大きいらしいです(牛さんは人間が増やしたんだけど)。だけど「なんだ、俺たち人間のせいじゃないのか?」という態度ではいけません。我々も、できることはやらなくてはなりません。ここ地球に住んでるのだから。地球以外のどこへも行けないのだから。

その上、二酸化炭素の絶対量も、問題にする程増加してないと思います。(詳細後述)

 

「原因」ですが、地球では今、炭素の地中への固着の不充分が起こってる(不充分もしくは未着手もしくは失敗)のです。メタンに含まれる炭素は固着できないけど(メタンそのものを固着するしかない)、二酸化炭素に含まれる炭素なら固着できます。その「うまく行く」はずのものが、うまく行ってないのです。

それは、同じ微生物の仕業かも知れないし、別の微生物の仕業かもしれません。微生物じゃないなにかの仕業かもしれません。植物自体も減ってますから光合成もままなりません。固着する全体能力が衰えつつあるのです。人間は環境を破壊するばかりで、削減のためには頑張ることができません。二酸化炭素の削減は誰だったらできるか?それはやはり植物にしかできません。光合成をもっと頑張れ、とお願いするのではなく、芋を増やしてくれ、とお願いするのでもなく、それは根っこへの固着です(メタンを除く)。

 

最後に「質」の話しですが、植物たちは、光合成という名の「私の知識程度では到底説明不可能なもの凄い化学反応」によって、大気中の二酸化炭素を吸着して炭素を獲得して、太陽光の力で炭素1コと酸素2コに分割。邪魔者になった酸素を排出します。これが、ちょうどよかったのです。取り込んだ炭素はでんぷん合成に使いエネルギーとして活用して、余ったでんぷんは芋として地中に蓄える。さらに余った炭素を、放出してしまうのも大気が汚れるから、「大気中の炭素の固着」としてひげ状の根っこなどに片付けて、もしも本体が枯れても根っこだけは地中に残る。これが「地中への炭素の固着」なのです。そして、これが不充分なのです。このことは、ペンペン草でもそそり立つ樹木でも当て嵌まります。

 

二酸化炭素濃度は、昔はそれなりにバランスが取れてたのですが、今では、植物たちは伐採されつつあって、人間の欲望にまみれた経済活動は果てしなく続き、二酸化炭素による温暖化だけがクローズアップされました。確かに芳しくない状況です。各国単位で二酸化炭素排出量を抑制しよう、カーボンニュートラルでしたっけ?ええ、今こそやらなければなりません。でも、京都議定書はこのように言いました。温暖化の唯一の対策法が「二酸化炭素の排出権の売買」。えっ、売買?ホントに?そんなのでは解決しないでしょう?売るの?買うの?根本的に何の解決にもならない。そんなことすると、人間の欲望にまみれて謀略策略が暗躍して、買うほうは排出量の過少申告、売るほうは購入キャパの過大申告などのいわゆるちょろまかしは横行し、ろくな結果になるはずがない。人間というものは、売った買ったの行為は、商売によって予め練習してます。誤魔化し方をよくわかってるから、ろくな結果になりません。排出権売買は今でも続いてます。

むしろ総量規制こそが大事じゃないの?これを言えなかったのは何故?お金で解決したいと思うなら、売買すべきは「二酸化炭素排出権」ではなく、「過去の二酸化炭素排出量と引き換えの補償金」なのです。

 

私は、地球温暖化の最大の原因は「ヒートアイランド」と「二酸化炭素を含む温室効果ガス(メタン・フロン・アンモニア)の増加」の二つだと思います。温室効果ガスの弊害を語ろうとするなら、メタンこそが幅を利かせてると思います。二酸化炭素<メタン<アンモニアや硫化水素などの毒性ガス(可燃ガスでもあって、これを可毒ガスと呼ぶ)<フロン(これも可毒ガス)、この順序だと思います。フロンはオゾンホールが問題視された時にほぼ解決したし、アンモニアは今は考えなくてもよさそうなので、二酸化炭素を外すわけには行きませんが、メタンこそを中心に考えなくてはならないはずです。

 

温室効果ガスについての考察ですが、人間をはじめとする全ての恒温動物は、温室効果ガス皆無の地球環境では生きることはできません。地球環境が寒すぎて、人間は地球には住むことができません。ある程度は絶対に必要なのです。

空気という名の混合ガス(窒素76%酸素21%その他3%)と二酸化炭素の比重は約1.14です。空気より二酸化炭素のほうがちょっと重いです。上昇気流に巻き込まれたら、上空までは登るけど、いつまでも上空に留まる道理がありません。メタンは、空気に対しての比重が約0.5、空気に対して約半分と軽いのです。地上にて一度お別れしたらもう二度と地上に舞い戻ることはありません。そういう意味に於いて「二酸化炭素より質(たち)が悪い」のです。メタンは水素4コと炭素1コで出来てます。その結合が強くて、化学的組成から見ても温室効果は高いと思います。地中や海への炭素としての固着ができません。太古の地球の大気は酸素は皆無、硫化水素リッチでした。硫化水素を動力源とする生き物にとっては酸素は猛毒です。硫化水素リッチの大気だったら、メタンは比重の関係で地中や海に逃げようとするのか。

 

先程も申し上げましたが、二酸化炭素の増加量は約250ppm→約400ppm

です。ppmって、何の略語かご存知ですか?それは「パーツ・パー・ミリオン」です。つまり、我々は「百万分の250が百万分の400になってしまった」ことを騒いでいるのです。そんなに僅かな増加によって、こんなに多大な影響?きっと、何か別の原因があると思うのです。「二酸化炭素こそが」じゃありません。

 

二酸化炭素排出の削減方法について。ここで登場するのが「遺伝子組み替え」技術です。何も「キメラ」(何かと何かの合の子)を作り出そうなんて言うのではありません。炭素を根っこに溜め込めやすい遺伝子をある種の植物に埋め込もうというものです。あるいは、元来持ってる炭素固着の遺伝子を活性化させるのです。もしもこれが米や小麦でできるなら、下半身は炭素の固着、上半身は備蓄可能な食料になります。シロツメクサの仲間だったかな?そんなのを用いた研究に着手したとニュースでやってました。

これでうまくいくと、その他の植物でも応用が利くと考えられるそうです。知らなかったなぁ。実験植物があるなんて。植物界のマウス?

 

 

メタンの削減手段ですが、残念ながら現在の技術力ではそんなことは 不可能です。直ちに天然ガスの採掘をやめるべきです。地球の大気成分が、まだ酸素リッチじゃなかった頃、比重の関係のお陰でメタンが地上に舞い降りた時に、折角地中に固着することができたメタンを、またもや我々人間が掘り起こした。あたかも閉じ込めた悪魔の封印を解くように。もしかして人間の目にメタンの色が見えるとしたら、あなたは採掘現場を見てびっくり仰天すること請け合いです。あまりの垂れ流し具合におののいてしまうことでしょう。石炭のほうがまだましです。そして自然減衰を待つしかありません。天然ガスのことを「クリーンなエネルギー」と宣った(のたまった)のは、どこの誰なんですかね?天然ガスは二酸化炭素排出という視点だけでは確かにクリーンですが、地球視点だったら「絶対回避すべき」採掘なのです。

 

 

話しは変わって(流れに戻って)、ヒートアイランドについてですが、これが起こるひとつの理由は「エアコンの室外機」です。室内は快適で、その代わり室外は灼熱地獄?本末転倒の見本市です。

ヒートアイランドの二つ目の理由ですが、それは「アスファルトとコンクリート」でしょうか。現代的だと信じてる我々の暮らしも誤った方向を目指してしまっているんだと思います。舗装は現代的できれいです。舗装は便利です。コンクリートの建物は頑丈です。高層化さえ可能です。しかし、我々は豊かな暮らしと引き換えに、何か大切なものを失っているのかもしれません。地球環境という名の大切なものを。

だから、幹線道路以外は舗装禁止、認可した建物以外はコンクリート使用禁止、にするしかありません。(揉めるだろうな)

ヒートアイランドのその他の理由は、例えば、舗装した道路のアスファルトからの照り返し、強烈ですね。気温も上昇するし、紫外線による日焼けも気になる(俺は外出できないから気にならない)。舗装なんかするから、こういうことになるのです。

例えば高層ビル群。あんなものが滅多矢鱈(めったやたら)に、にょきにょきと大地から生えてるから、ビルの足元だけに強烈な風が吹き、ビルのその先は海風が届きにくくなって無風状態で気温上昇。

 

暑さで有名な熊谷桐生館林は東京の北、暑さで有名な多治見は名古屋の北、暑さで有名な福知山豊岡は大阪の北。夏はやっぱり南風。便利な暮らしと引き換えに、これは本末転倒です。名古屋は暑いが名古屋のせいで多治見も暑い。

 

ヒートスポットが点在してると、全体の温度もかなり上昇すると思います。例えばですが、最近ではめっきり見掛けなくなった「反射式ストーブ」。てっぺんの金網ドームが、内蔵された芯が燃えてくれるお陰で真っ赤に光り輝く、そんなストーブが部屋の中に1台でもあると、やがて部屋中が暖まります。だけど、反射式を名乗るほど、反射板が付いてるほどには、ストーブの目前は暖まりません。部屋の温度というやつは「限りある空間の中で、均一になろうなろうとする」のです。ヒートスポットが1点でもあると、気温は「均一になろうなろう」とするのだと思います。

 

今の我々には発達した科学があります。今こそ、遺伝子組み替え技術の出番ではないでしょうか?欧米人は、得てして遺伝子組み替えを嫌がります。それを説き伏せなくてはなりません。経済活動に於いて「既得権」を主張する人も多いでしょうが、そんな人たちも説得しなくてはなりません。政治力の出番かな?カリスマの出番かな?人間は、都市に暮らすのをやめて、全員郊外から電車で通えばいいのです。自動車通勤は一切禁止。タクシーはエリア内とエリア外に分ける。配送トラックもそう。郊外には、新規工場や物流拠点もエリア外には新築禁止。既設設備も改築禁止。空き家は公費で撤去してその代わり土地所有権没集、しかも予告期間2年。このことによって空き地確保。ちょっとはマシになるのかな?

 

対策をまとめると、温暖化ガスのうちの二酸化炭素の対策は「遺伝子組み換え」、メタンのほうは「打つ手なし」。ヒートアイランドは「居住地と都会の分離」「舗装の制約」「高層建築の禁止」「空き家の解体と空き地の確保」。

 

温暖化の行き着く先は、世界中が熱帯雨林になって植物の時間が流れることだと思います。言い換えると「この世が植物に乗っ取られる」ことだと思います。熱帯雨林の下はかなり真っ暗です。広葉樹林や針葉樹林、さらに言えば両者の混合林の比ではありません。50mぐらいの高所に第1段、25mぐらいの中層に第2段、それでも漏れて来る太陽光を求めて10mぐらいの低層に第3段、大地に這いつくばるみたいに草、もう辺りは真っ暗。そこでは時間がゆっくりと流れてる。陽が昇らない、陽が暮れない。だから、1日が回らない。回らないからゆっくり過ぎて行く。これこそ「植物のタイミング」。動物の時間は、良くも悪くももっと早い。その中でも一番早いのが人間。植物との差は歴然。

だから、地球温暖化のことは、世界中が熱帯雨林化し始めてから騒げばいいのです。ただし、その頃はもうどうしようもないのですが。百万分の4を心配することも、それは本質的におかしいけど、もしかして「もう遅い」のかもしれません。あっ、どっちでも同じか。どうせ、滅び行く運命。

 

いやあ、やっぱり時事問題。凄く長文になりました。相変わらずです。諦めてください。ところで、このブログの初期(掲載しはじめ)の代表作20回分を「長過ぎね?俺の随筆 第1集」として、幻冬舎という出版社(結構大きい会社)から2024年12月21日に発売しました。ちょっとだけお高いですが、よろしかったら、是非お買い求めください。次回は「相反するものはやがて似てくる」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。