menu

長過ぎね?俺の随筆(その61)『打てないはずの球を打つバッター』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。私は元気です。日々の暮らしにも一切追われることもなく過ごせてます。施設の介護士さん達のお陰で、毎日毎日好き勝手させて貰ってます。できることとできないことがありますが、やれる範囲内で最も好きなことを選ばせて貰ってます。今の私は大好きなギターも抱えられなくて、視聴する音楽も選べません。だけど、嫌なことには近付かなくてもやり過ごすことができてしまってます。これは身障者に手厚いお国の政策のお陰なのか。介護してくれる支援員さんのお陰なのか。毎食作ってくれる厨房の外部業者さん達のお陰なのか。介護保険を払い続けてくれてるみんなのお陰なのか。たぶんこれら全部です。この世の全ての人に感謝に絶えません。自己責任のはずである「自分の身のお世話(炊事・洗濯・掃除・食事・入浴・排泄)」にさえ不自由してる我々の、代わりを全てやってくれます。やれないはずのことをやってくれる人が存在することにかこつけて、今回のブログのテーマは「打てないはずの球を打つバッター」です。

 

 

昔から私はプロ野球中継が好きで、しばしばテレビでプロ野球の生中継(中日ドラゴンズ戦に限るけど)を見ます。ナイターだろうとデーゲームだろうと、時と場合を選びません。ただし、中日ドべゴンズが大負けしてる時はあっさり裏切ります。3点差ついたらチャンネルを変えます。たったの3点で「終わった!(涙)」。All Over、The End(ジ・エンド)。私の名前はトレイター(裏切り者)。本気のファンなら、点を取られても取られてもなお奇跡を信じて、見守り続けるはずなんですが。実は私はにせもののドベゴンズファンなのかしらん。

MBL(アメリカのメジャーリーグ)はスピード感たっぷりで、見てて楽しいけど、顔立ちが外国人然としてるし(当然か)、選手の顔やチーム名にあまり馴染みがないから、今ひとつ気分高揚して来ません。そのうちチャンネルを変えてしまいます。

甲子園の高校野球も嫌いでもないけど、開始時刻が不安定でテレビで視聴しにくいという欠点があります(俺にとっては致命的、リモコン操作が大変)。なんと言っても高校野球は、スピード感がなくてその代わり精神的な要素が絶大で、奇跡連発過ぎてあたかも「気持ちが強い弱いのくらべっこ」の競技会みたいに見えるのです。「来る日も来る日も訪れる厳しい練習に耐え抜いたから、負けるはずない」とか「応援してくれる声を力にした」が本当にあるのです。奇跡が起きます。かつて私は高校野球を甲子園まで見に行ったことがありますが、それはそれは異様な盛り上がり方でした。テレビを見てるだけではわかりません。結局◯工大名電は負けたけど、充分に楽しめました。「この場面で本当にホームランを打つか?(打たれたんだけど)」とか「この場面で本当にあんなにコントロールされた球を投げれるものの?(外角低めいっぱいに決められたんだけど)」とか「この場面で本当にあの強烈なライナーを捕れるのか?(捕られたんだけど)」。まるで「ほぼ漫画」です。最近はおお◯に選手の活躍でMBLさえも「ほぼ漫画」なんですけど。高校野球は、出てくる選手のみんながみんな、このままプロ野球に入っても大活躍しそうです。彼の所属する野球部はプロ野球チームにさえも勝利するに違いないと思ってしまいます。かつて三振タイガーズは「智弁学◯より弱くて、大阪桐◯よりはるかに弱い」などと言われてました。タイガーズ暗黒時代のことでした。当時のタイガーズは、素人目にも他のチームとの戦力差は歴然、戦っても戦っても負け続け。三振タイガーズは個人的には好きじゃないけど(返す刀で惨劇の虚人も厄る人も酷島もDay恵那営も嫌い)、さすがにそれ(はるかに弱い)はあり得ない。現実離れし過ぎです。やっぱりプロ野球が良いです。

 

大好きなプロ野球を見てて思います。選手と言えども俺と同じ人間なのに、凄く速いストライクを投げるもんだなぁ。恐すぎて打席になんて立てないよ。投げる球は鉄球みたいにカッチカチだもんな。もしもデッドボールでも食らおうもんなら一生痛むぞ。骨折するぞ。治らないぞ。さあ逃げろ。

私はかつて、大学野球の愛知工業大学の硬式野球部でエースピッチャーだった男が、野球から引退した直後に、プライベートで全力投球してくれた球に対峙する打席に立ったことがあります。それは「球」ではなく「弾」でした。その当時はまだスピードガンは普及してない時代で、厳密なことはわからないのですが、本人の弁によると「僕は軟投派投手ではあるが、1年前には140Kmは出てました」とのことでした。今の時代はプロ野球なら、中継ぎピッチャーでも150Kmを連発して、速い人なら155Kmくらいは投げますが、その当時は140Kmでも驚愕したものでした。ドラフト会議に引っ掛からず、潔く引退する道を選んだ男の、大学卒業直後の時期に投げる球でした。複数の社会人野球の野球部からの誘いを蹴って、野球部がない地元の一般企業めがけて入社して来た一年後輩でした。硬球は手元になくて、軟式ボールでしたけど。キャッチャーは勿論いません。投げる本人曰く「捕球するのは素人にはまず無理です。ここにはキャッチャーマスクもプロテクターもない。若いからと言って無理しないでください、強がらないでください。軟球といえどもきっと怪我人が出ることでしょう」と言いました。そんな彼が軽いキャッチボールの後、壁際の打席に立つ私に向かって本気の球を投げてくれました。

 

「振りかぶって…第1球を投げた。ストライク!」それはあっと言う間のことでした。振りかぶったのは見えました。右手を振ったのも見えました。何かの影が私の膝をめがけて飛んで来るのも見えました。でも、踏切待ちしてる私の目前を通過したのは、来るはずもない新幹線でした。「決して正しいやり方じゃないけど、いちにぃさんでスイングすれば打てるかもしれない」と言われたけど、振ったバットと投げたボールが30㎝くらい離れてました。タイミングも全然合ってませんでした。跳ね返りの球でも狙ったの?何かが来ても、逃げる間もありませんでした。「見えないや」力なく見当違いの空振りしました。

「振りかぶって…第2球を投げた。ストライク!」これもまたあっと言う間でした。唖然として見送りました。ストライクなのに腰が思わず「くの字」に引けました。

「振りかぶって…第3球を投げた。ストライク!」これもあっと言う間でした。飛んで来るはずの投げた球は単なる影でした。やけくそになってスイングした時にはもう球は、投げた彼に跳ね返って来た後で、彼のグローブの中でした。あれっ?手品?投げた球は確かに右手に握ってたはずだけど、いつの間にか左手に。卒業したてのエースピッチャーは我々にとっては恐るべき存在だと思い知らされました。

 

ものの本によると、プロ野球のピッチャーがボールを投げてからホームベースの上を通過するまでに、0.4秒かかるそうです。私には測る術(すべ)もないけど、1秒もかかってないし0.1秒と言われてもそれは違う。体感的にはまあそれくらいかな、と思います。

その一方、ものの本によると、人間は誰でも「自分に向かって投げられた球を、自分の目でストライクかボールかを判定して脳ミソが打とうと決定して、筋肉に対して『打て』と命令したとしても、その指令が届いて起動するまでに、0.5秒かかる」そうです。ボール球を打とうと思っても、打てる確率は、明らかなボール球なら打率0.005%以下(1割に満たない)。ストライクだけを振らないと、球に当てるなんてまず無理です。

うーむ、0.4秒で飛んで来る球を0.5秒で、しかもストライクだけ振る?打てないじゃん。打てるはずないじゃん。私は思います、「練習しても無駄じゃないか?」。打つ前にボールが到着してしまうから、打者は誰もプロ野球ピッチャーの投げる球は打つことができないはず、という道理になります。

 

だけどプロ野球バッターは曲がりなりにも打ちます。160Kmを喰らったプロ野球の打者は、それにも拘らず振ったバットに当てます。大抵の場合それは振り遅れのファウルで、右打者なら一塁側ファウルスタンドめがけてまっしぐらです。ふうん、振り方は正しいから、当たるには当たるんだ。タイミングだけの問題か?もしかするとクリーンヒットが打てるかもしれない、と見えるのです。打てるはずない球を打てるかも知れないのです。

 

でも、なんで打てるの⁉

投げてから手元に届くまで0.4秒なんでしょう?飛んで来る球を「これなら打てる」と判断してバットスイングを起動するまでに0.5秒なんでしょう?しかも投げた直後ではまだストライクかボールかを判断できない。判定できるまでに半分の時間を費やすとしても0.2秒。そんな条件下でなぜ打てる?

だけどバッターはバットには当てて見せてくれました。振り始める頃には、もう球はキャッチャーミットの中のはずなのに当ててくれます。

 

誰かさんみたい(俺のこと)にただくの字になって呆然と見送らないわけや、空振りしないわけは、私は「判断のショートカット」だと思います。ショートカットされた対象は脳ミソ。人というものは、通常は、目という器官が見たものを「ストライクだから打とう」と決めて、「打て」の指令を筋肉に送ります。だけどショートカットの場合は、見たままの何も判断してない情景を直接筋肉に送って、筋肉自体が判断してるのです。筋肉は思います「よし、ボールかも知れないけどあの球を打とう。何を差し置いても、それどころじゃないくらい速い。俺もプロ野球のバッターだ、意地を見せてやる。今だ、振れ。もう少し上、そうそうそこら辺。もうちょっと早く、えっ、間に合わせ不可能?そんなことしらん。俺は肉、脳じゃない。判断できない。とにかく振れ」。これまでに0.2秒。そして、当たるには当たります。だけど、とにかく振ってみたら、振り遅れのファウルでした。

 

野球には「修正能力の高い低い」という言葉があります。バットのスイング軌道の修正です。振り始めてからの微調整です。どうして「振り始めてから修正できる」かというと、私はこう思います。「流れる時間がコマ送りに見える」からだと私は思います。

これを思わせる事例として、大学生時代に私は「速読できる人の本物」に出会ったことがあります。咀嚼(そしゃく)してる文節の遥か先を目だけが追っているのです。理解してるわけではありません。目だけです。30字~50字ぐらい先かなぁ。視野が広いんですね。速読できる人には、本物と偽者がいます。私は速読できた(過去形)ほうですが、私は偽者です。本物には全く及びません。ナンチャッテ速読ですから、あんな技術は持ち合わせません。小学生の頃に「上手に音読するためには、読み上げてる一小節か二小節前を目で追え」と習いました。速読できる彼は、それと似たようなことをしてたんだと思います。読んでる部分の意味を咀嚼しながら、目だけずっと先を読んでます。視野が広いばかりじゃなく、見える範囲内の理解度や解像度が高いんですね。理解が追尾できるなんて。これは「世界の流れがコマ送り」だから、と私は思います。

そんなもの私は持ち合わせないので、実感したわけではありませんが、「もっと早くもっと上アッ変化球だ」なんて、脳ミソでそう思ったって、対応できるはずがありません。だって脳ミソをショートカットされたから。振ったという事実はわかるけど、自分が命令した覚えがないのです。「あれっ?なんか勝手に振った?しかも、振り遅れかな」首を傾げます。

 

目で見て、筋肉が動き出して打つ。ヒーローインタビューに於いて「仲間達がチャンスを作ってくれたから頑張った」なんて、聞き様によっては「さも他人事」みたいに聞こえるのも無理からぬ事だと思います。

 

私達の判断は、現実に起きていることより0.5秒遅れます。類人猿から「ホモなんとか」(サピエンスやエレクトス)に進化して、脳が発達したために「より正確な判断」を下そうとしてこうなったと思います。俺が望んだわけじゃない、とも思わないでもありませんが、気になる程のタイムラグでもありませんから、日常の生活に差し障りがあるほどのことでもないと思います。じゃあ俺は現実の世界を見てるわけではないのか?この世はすべて0.5秒遅れの既知の世界なのか?この世のすべては過去の出来事なのか?

いいえ、決してそんなことはありません。我々は今を見てるのです。目に映ってるのです。ただ、目に映ったそれをすぐに判断してないだけ。判断を確実に下そうとしてるだけです。人間も発生当時の未発達な頃は目で見たことは筋肉が判断してたと思います。動物的な反射です。より正確な判断があったほうが生き残りやすいから、こうなってしまった。我々の判断は現実より遅いのです。その代わり正確です。どっちが良いのだろう。だけど、狂熊(きょうゆう・熊はゆうとも読める)に食われそうになった時は、一目散に逃げ出します。これは、昔ながらの反応に戻ってたということです。ということは、プロ野球バッターは「原始人度合いの比べ大会?」高校野球は「原始人の予備軍選抜大会?」

 

夢がないぞ。

 

次回のブログは「7つの大罪」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。