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長過ぎね?俺の随筆(臨時増刊号)『ウクライナ戦争はなぜ起きた』

長過ぎね?俺の随筆

突然ですがこんにちは。もうすぐきっと春ですね。寝る時首まで掛け布団をかけてもらったら、汗をかいてしまいました。こんなことしてると風邪引くぞ。あ、もう鼻水だらだら。うーん、これは花粉症か。私はキク科の花粉症ですが、ひのきの花粉症でもあるのです。今年のひのきは多くて早いです。大変です。携帯電話に「鼻をかんでください」と打ち込んで、いつでも見せられるように保存しました。1日に3~4回それを指差す毎日です。食事中にむせやすくなります。毎日薬を飲ませてもらってますが、ちっとも良くなりません。いや待てよ、これでも「薬のお陰でちっとはマシ」なのかな?薬を飲ませてもらってないと、それはそれは悲惨なことになるのかな?ああ、いらんことを言ってないで、今回は初の試みの「臨時増刊号」です。私は「ブログは毎月1回」と心に決めて管理人様に月末にブログの原稿を送信させてもらってるのですが、臨時増刊号の待望論もいただきましたし、先輩の人からリクエストもありましたので、特別に書いてみました。リクエストには応えないつもりでしたが、先輩からのリクエストとあっては例外も致し方ないと思いました。そんなわけで、今回のテーマは「ウクライナ戦争はなぜ起きた」です。2回目の時事問題です。反対意見も多いと思いますが、恐れずに書いてみようと思います。なお、次回のブログの「お買い得はいいことなのか?」は、予定通りに今月末に。

 

あれは私が10代前半の頃のことだったと思います。西暦1975年、年号では昭和50年、私がまだ中1の時です。その当時ベトナムで戦争が起きてました。内戦の形を借りたアメリカ対ソ連の、あからさまな「代理戦争」でした。冷戦などではありません。どちらも本気です、遠慮なんかはありません。空には考えられないほどの数の戦闘機と弾丸が飛び交い、地上の都会に通じる道路は戦車と装甲車で溢れてました。発射されたばかりの地対空ミサイル弾や爆撃するために爆弾を積んだ爆撃機B-29なんて初めて見ました。鉄砲の発射音はドラマや映画みたいな「ドキューン」じゃなくて「パンパン」なんだと知りました。スクランブルでない戦闘機はあんなに低く速く飛ぶんだとも知りました。現役バリバリの本物の戦車や装甲車なんて初めて見ました。戦車って凄いな、民家も押し潰すんだ。装甲車って凄いな、見掛けはただ車輪の数が多いトラックみたいなのに水田でも苦もなく走れるんだ。・・・その戦争の終わりです。

私の家では誰が見てるともなくその日もテレビが点きっぱなし、ただ時計代わりにニュースが流れてました。そこで私は、衝撃的な光景を目にしました。半世紀経った今もなお忘れられません。私は幼心にもこのように思いました。「うそだ?ホントにか?アメリカが敗けた。これからこの世界はどうなって行くんだろう?その日は突然やって来た。そして俺はうまいことニュースに騙されたのか。これからはニュースごときに騙されないように一生気を付けよう」13才の少年には相応しく(ふさわしく)ない決心です。その時流れてたニュースとはこういうものでした。「相変わらず今日もやってらあ」などと思いながら、まず初めに佐藤栄作内閣総理大臣の施政方針演説(明日も日本はフラフラだぁ宣言)のニュースです。次が愛知揆一(あいちきいち)外務大臣の日米安保に関する取り交わし強化の話し(かまってちゃんの手段の話し)。その次にいよいよベトナム情勢です。いつものように現地の悲惨な姿を映して見せて、次に日本国内の反戦運動の盛り上がりぶり(その当時は学生運動真っ盛り、反戦デモが格闘技みたい)を映して、なんなら海外での盛り上がりぶりも映して、アメリカ軍や南ベトナム軍のめざましい進撃ぶりを映して、ソ連軍の攻撃によって破壊し尽くされたサイゴン(現在ではホー・チ・ミン市)の街並みを映して、ベトコン(ベトナムコマンダーの略称、木村拓哉さんが食ったというラーメンの種類じゃありません、ニンニクマシマシ)の恐さを必要以上に強調して。すると突然「あ、今このニュースに関連する臨時ニュースが入りました。ソ連当局は『我々はこの紛争に勝利して、サイゴン市全域を開放した』と発表しました。現在、関係各省庁に確認中です」

えっ、開放するって何?開放とは、勝者の理論とその場に居た父に教わりました。あのアメリカが敗けた?ホントに?じゃあ、俺がついさっきまで聞かされてた情報は全部作りもののうそだったの?俺がまだ子供だから騙されたの?テレビの言うことは信用しちゃならないの?

私は父親に訊ねました。一気にニュースが逆転したのはなぜ?すると彼はこう答えました「俺は何かおかしいと思ってた。第2次世界大戦の時の大本営発表と似たような雰囲気だった」と。

自分の親を疑うことはいいことじゃないけど、これは半分は本当で半分は眉唾物(まゆつばもの・疑ってかかること)だと思いました。 「大本営発表に似てる」の件(くだり)は恐らく本当のことかもしれません。 でまかせの半分とは

「何かおかしいと思った」の件(くだり)のことです。本当におかしいと思ってた?息子を前にしての格好付けじゃないの?強がりじゃないの?私も思春期で、両親に対する反抗心真っ盛りでしたから、「何かおかしいと思ってた」という言葉に必要以上に反発を覚えてしまったのでしょう。ニュースとは実はうその固まりで、疑うこともなく丸飲みしただけなんじゃないの。ニュースの内容はその時の権力者の意向に左右されるものだと知りました。今この世の中は、この時の様子に似てると思います。

有名な太平洋戦争は、実はわずか3年8ケ月で終わっているのです。その間に実施された「大本営発表」もほんのわずかな期間のことだったはずです。なのにあのインパクト。インパクトが大きいということは、人々は余程「騙された」ことが悔しかったのでしょう。

 

アメリカに寄り添いすぎの報道にはマスコミはこの時懲りたはずです。なのに半世紀経った今再び繰り返そうとしているように私には見えます。ニュースでは、いつものようにウクライナ現地の悲惨な姿を映して見せて、次に日本国内のウクライナからの避難民の暮らしぶりを映して、なんなら海外での盛り上がりぶりも映して、アメリカ軍やウクライナ軍のめざましい進撃ぶりを映して、ソ連軍の攻撃によって破壊し尽くされたヘルソン州内の街並みを映して、ワグネル(ロシアの民間軍事会社)の恐さを必要以上に強調して。 今の報道はアメリカに寄りすぎではないでしょうか?もちろん「ロシアが正しい」などと申し上げるつもりはありません。ロシアのほうが間違ってると思います。戦争は圧倒的にダメです。戦争を引き起こした張本人としての引責を問わなくてはなりません。でもロシアにも「ロシア的言い分」があるはずです。彼等ははっきり言わないからこれは推測ですが、恐らくNATOがこわかったのでしょう。なのにそれがすぐ隣に来るなんて。しかもウクライナと言えば、つい25年前まで「一緒になったひとつの国」だったじゃないか。ウクライナはロシア人の心のふるさと。それがあのコメディアンあがりの大統領に蹂躙されようとしてる、許せん、・・・なんてね。その上ロシアには昔から「不凍港の入手」の願望があります(て言うか根強い)。極寒の地に暮らすロシア人ならではのことなのでしょうか?その気持ち、我々には理解できません。ウクライナもウクライナです。突然ミサイルを撃ち込まれて「ちくしょー!反撃するしかない」と思ったのでしょうが、「まあ落ち着け。何が不満なんだ?話しを聞こうじゃないか」とやれなかったものなのでしょうか?(クリミアの先例もあることだし、まあ無理だ、でもその後の全世界のダメージ絶大)。日本の存在も思ったほど小さくはありません。我が国もちっとも北方領土を返してもらえません。ロシア視線で言うと、厳しい側面を見せておかないと日本が「領土変更は許せん」とうるさいんです。クリミア半島を奪い返した(あくまでもロシア視線)ばかりなのに、こういう時だけ騒がれても邪魔に思います。それに中国も「ふたつの中国・台湾問題」を抱えています。中国にとって良い先例になれば幸い、うまく行かなくても知らん顔してればいいのです。いざという時応援してくれるという読みです。

NATOの価値観存在感もアメリカに傾きすぎです。国際社会でロシアが孤立しないのもこのせいだと私は思います。あれは「あってはならない価値観」なのです。アメリカだけが絶対正義。

それはたぶん正しいけど、歪んだ価値観の中で我々は生きているのです。

ウクライナ戦争の本質は、誤ったアメリカ寄りすぎ価値観に立脚したNATOの存在Vs.誤った判断をやってのけたロシアの「夢よもう一度」の復古主義だと私は思います。

あっという間に占領できるはずだったのにね。

 

以上「臨時増刊号」でした。それではご機嫌よう、さようなら。