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長過ぎね?俺の随筆(その30)『鏡が反転する理由』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか?私は、たぶんあなたと鏡に映したように同じように元気です。鏡といえばあれは不思議な物体ですね。姿見のはずなのになぜか左右逆転しています。違和感ありますね。そこで今回のテーマは「鏡が反転する理由」です。説明し難い(しにくい)ものを、何とか言葉だけで説明しようという、初の試みです。上手く行くといいな。初の試みが好きだからな。しばらくお付き合いください。

 

鏡は反転して映されます。・・・あたり前ですね。小学生でも知ってます。そもそも鏡って何でしょうか?私の認識では、ガラス板の裏面に銀入りまたはガリウム入りのペーストを塗って、入射して来る光とその色を反射させるものだと思います(たぶん間違ってない)。映るのは結構だけど、映りかたが独特です。 例えば、「鏡文字」という言葉もありますが、鏡に映った文字は全て左右だけ逆転してます。読みにくいのなんのって。その時なぜだか上下は逆転しません。鏡を正面に置いた時に限って、左右逆転現象だけが起こります(「正面」と「左右だけ」の限定の二重奏)。

 

「壁」に嵌め込んだ鏡に向かって左手を挙げると、鏡に映った自分は右手を挙げます。つまり、挙げた手が左右逆です。しかも激しい違和感を伴います。

その一方、「天井」に嵌め込んだ鏡に向かって左手を挙げると、鏡に映った自分も左手を挙げます(つまり左右逆転しない)。ただしその時、上下は逆転して映ります。挙手したら一番近くに指先が映ります。だけど、指先から映ることに対してなぜか左右逆転ほどの強い違和感はありません。水鏡でも同じです。上下が逆だけどなぜか鏡ほどの強い違和感はありません(変だなとは思うけど)。逆さ富士(池に映る富士山と本物の富士山)の写真には私は「あれっ?何か変」などとは思いません。単純に「上下逆転したな」とただたんたんと思います。疑問を素直に受け止められます。壁に嵌め込んだ左右逆転してる鏡と、上下逆転してる水鏡。時と場合によって逆転を素直に受け入れられる場合と、首をひねってしまう場合があるのです。しかも疑問は単純な疑問ではなく、果てしなく深き疑問です。1ランク深い謎だから、「疑問」より激しい表現の「違和感」を用いました。違和感へとランクアップした理由とは、左右逆転した鏡像は想像の中で反転させても実像とは重ならないということを、知らないうちに脳というやつはチャンと見抜いているからです(知ってるなら知ってるとはっきりと言ってくれればいいのに)。だから疑問ではなく違和感です。逆さ富士なら、鏡像を反転させると実像と重なります。だから違和感というほどのことでもないのです。この違和感という言葉は後からいっぱい出てくる予定です。

 

このブログの冒頭で「あたりまえ、小学生でも知ってる」と表現しましたが、その左右逆転の理屈は彼等小学生達も考えたことないと思います。実は私も、経験値だけで「鏡とはそうやって映るものだ、不思議だけどそれが現実」と無理やり納得してました。そして、皆さんも似たようなものだと思います。違和感を黙って見過ごして、何食わぬ顔をして暮らしてると思います。生まれて初めて鏡を見た時のことはよく覚えてないけど、たぶん「あれっ?左右が逆だ。その上何かおかしい。何がおかしいんだ?」と、左右逆転に強い違和感を抱いたはずです。でも「それが事実だからしょうがない。そう見えるのだから仕方ない。事実は俺には変えられない。鏡とはそういうものなのだ」と、無理矢理納得したはずです。

 

でも、無理矢理納得でホントにいいのでしょうか?あの現象は何だろう?と思いませんか?逆さに見えるという事実は事実として受け止めざるを得ないけど、あの強い違和感の原因は何?大人ならわかっていたいと思います。

私が思うに違和感の原因は、大きな理由が2つあると思います。

まず一つ、あれは左右逆転ではありません。違う原因によって左右逆転に見えてるだけです。 あれは、左右ではなく「まえうしろ」が逆転してるから違和感を感じるのです。鏡を見た時の違和感はなぜ?それは、脳内でとは、瞬時に「自分の後頭部が映るはず」と決めつけてしまっているためです。でも鏡は顔面を見せてくれます。後頭部が映ると思ったのに、「自分の顏が見たい」と期待したとおり顔面が映る。これは矛盾です。そもそも俺の要求が矛盾してるのになぜか叶えられちゃった。しかも、挙手した左手が後頭部姿のものだったら、鏡像は実像と同じ左手を挙げた姿になるんだけど(深く想像してみてね)、顔面が見えてる限りあれは左右逆転じゃないの?知らんけど(なぜか突然関西弁)・・・。これほどの量の疑問を、脳は瞬時に突きつけているのです。でも左右逆転に見えるけど左右逆転ではありません。錯覚でもありません。あくまでもまえうしろ逆転です。後頭部が映ったと仮定した自分の後ろ姿は(つまり顏を後頭部にすげ替えると)、左手を挙手したらちゃんと左手を挙げてくれます。まえうしろさえ違ってたら、顔面でなく後頭部さえ見えてたら、左右は違わないのです。

 

わかりにくいから、同じことを言葉を変えてもう一度言いますね。あれは「まえうしろ」が逆転しているのです。脳みそが期待する姿は「後頭部」が写し出された自分の後ろ姿なのです。そして「本物の自分が左手を挙手したら、鏡像の自分も後ろ向きで左手を挙手」して欲しいのです。現実に「後頭部が見えてると仮定すると左手を挙げたら鏡像も左手を挙げた」のです。ですからこれは左右逆転ではありません。まえうしろの反転です。しかし残念ながら、反対の手を挙げてます。自分の顏は見えます。見えるはずはないのに見えてしまいます。鏡像のあなたは後ろ向きではないのです。でも今、自分の顏は見たい(お化粧タイム?それともニキビでも探すの?)。残念ながらこの要求は矛盾です。後ろ姿を要求しておいて顏は見たい。何も言わないけど、何も思い浮かばないけど、脳はとぼけて知らんぷりだけど、ちゃんと矛盾と気が付いています。 「そうだ。想像の中でだけ肩を翻して振り返ってくれたことにしよう、後頭部が見えるはずだから今すぐ振り返って貰えばいい。実際は既に顏は見えるからあくまでも想像だけで後頭部が映るようにあっち向く。これで全ては解決するだろう。半回転すれば左右逆転は解決できるはずだ」せーの、まわれ右、くるり。でも、挙げた手は逆です。解決していません。 反転して見えるからそれを修正しようと、挙手したままとにかく振り返ります。想像上で。だけど、挙手した右手は、鏡に映って左手を挙手してるように見える、これが「混乱のもと」なのだと思います。これが「鏡への違和感」だと思います。

2つ目の理由。左右反転に見えてしまうのは幻覚?いいえ、幻覚ではありません。鏡のほうが反射することに正直過ぎるのです。反射とはこういうことなのです。まえうしろ逆転なんて唯一の現象です。こうした状況に脳がついて行けないだけだと思います。他には類似事例がありません。この事実を、脳みそが勝手に混乱してるだけだと思います。混乱した結果、左右逆転に伴う強い違和感を感じてしまうのです。水鏡のように上下逆転なら、境界線にラインを書いて(もちろん空想上で)、その線で反転させればいいだけだから、その簡単具合に違和感が希薄なのです。でも左右逆転ならそういうわけには行きません。

 

毎日、自宅の洗面所で、外出先のトイレで、昼食時のレストランの入口で、果てしない違和感を感じ続けなければならないのでしょうか?

 

実は鏡は、むしろ素直過ぎるくらいに真っ直ぐに反射してるのです。右のものは右。左のものは左。それが「反射」というものです。書いた文字を反転させたのはあなた自身だと思います・・・。「ええっ!俺?いつの間に、何を?」

お答えします。手持ち用のホワイトボードに、今、あなたがマーカーペンで「鏡文字」と書き込んで、あなたの正面に立て掛けた鏡に見せたとしましょう。文字は反転してますね。ところで、あなたは今、書く時は自分に向けてたホワイトボードを鏡に見せようとひっくり返しませんでしたか?・・・・ひっくり返しましたよね。・・・・つまり反転させた犯人はあなた自身だったのです。鏡というものは、見えるまま真っ正直に反射するから、挙げた手が、書いた文字が、被り物の着込んだTシャツが、反転するのです。織り上がった新品のTシャツのお腹に18と書いて、書き終わったからそのまま着たとします。着込んだ自分の姿を鏡に映すと、お腹の番号は81になってます。反転してます。ところで、今あなたはTシャツを着るために、Tシャツを一旦机の上に置いて、背中を表面へとひっくり返しませんでしたか?そうです、81にした犯人、それはあなたです。もしも、Tシャツの素材が透明だったら、書いた時点では18だったけど、着る直前のそれは、鏡に映る前、透明な素材越しに「81」に見えたはずです。鏡は正直にただ、入射したままに反射しただけです。

 

ただひとつ、私がどうしても納得できないのが「鏡では自分の眼球運動を見られない」ことです。鏡に向かって自分の左目の黒目を見たとします。顏を固定したまま、次に自分の右目の黒目を見たとします。見えましたよね。しかしその時目の動きはわからなかったはずです。その時側面から動画を撮影してると、確かに目は動きます。・・・・どうしてそうなるの?・・・

一説によると、昔は「自分の処理能力を超えた視界は自ら視界を遮断する」ためだと言われたそうです。たしか○○○現象という呼び名がありました(最初から否定的だったから名前は綺麗に忘れた)。事例を挙げます。飛び降り自殺しようとした人が偶然助かったとしましょう。そして、後から「落ちて行く途中であなたには何が見えましたか?」と質問しました。すると、誰でも判で押したように「何も見えなかった」と答えるそうです(その答え、わかるような気がする)。昔はこの言葉を聞いて「飛び降り自殺しようとする者は、飛び降りた瞬間気絶すると考えられてた」そうです。9:11テロの時に、聞いたことあります。しかし、最近では「自分の処理能力を超えた視界は、脳が自動的に、見えたというのに見なかったことにしてしまうのだ」と考えられてる、鏡を見た時もこれと同じ現象が起きるのだ、ということです。はあ、まだマシになったけど納得できません。

私は「視点が眼球の中心にあって、視点はふたつあると言えども情報はひとつだから、そこに違和感を感じるのだ。いくら脳みそで理解できないと言っても、自殺志願者といっしょくたにすることないじゃないか、早く新しい名前をつけるべき」

と思ってます。

 

でも、なぜでしょう?

 

鏡が反転する理由は説明できたけど、黒目が見られない理由はうまく説明できませんでした。自分的には何の進歩もありません。わからないものはわからないです。ならばなぜ説明しようと思ったの?すいません、でしゃばりでした。

いつも思うのですが、このブログ、読んでて楽しいですか?長いと読むのも大変ですよね。楽しんで貰えたらいいな、と思ってます。読みやすいように工夫し続けたいと思ってます。次回のブログは「勝負」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。