menu

長過ぎね?俺の随筆(その19)『リアルに特殊詐欺に引っ掛かった』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは、お元気ですか?私は元気です。でも思います。お元気とは、何故あの字で書くのだろう?元来の気持ち?元来の気持ちっていったい何?・・・・うっ、いかんいかん、悪い癖だ。冒頭から疑問視。こんなふうだから長文になるんだ。反省が足りない。反省のポーズして・・・猿かな、日光猿軍団。それでは今回も早速ブログを書き進めたいと思います。今回のテーマは「 リアルに特殊詐欺に引っ掛かった」、初の試みの「実況放送風&心象風景写実」です。

 

恥を語るようですが、自分にとっては、まさかの事態でした。この自分がそういう場面の当事者になるとは夢にも思ってませんでした。 自分だけは大丈夫と思ってました。実は、かねてから話題の「特殊詐欺(振り込め詐欺)」の被害に遭いました。それもあろうことか自ら釣られに行きました。携帯電話のワンクリック詐欺に引っ掛かった可能性が高いです。携帯電話のメールに送られて来た、今にして思えば見るからに怪しげ感満載のメールに添付されてたワンクリック詐欺の、画面を開いてダウンロードボタンをクリックしてしまいました。介護士のKさんから指摘されて初めて気が付きました。

「Iさん、その画面、怪しげだな。怪しげなのに随分嬉しそうだね。(携帯の画面を覗き込みながら)ほら、言わんこっちゃない。こりゃワンクリック詐欺だ。」

指摘されて初めて「あっ」と思いました。

 

後から思うと「そうか、こう言った心境の持ち主の元でだけ、振り込め詐欺ということが起きるんだな」と学習させられました。法的に悪いのは詐欺を企てた(くわだてた)者であって、私ではありません。でも、だからと言って許されるものでもありません。一般的にはそんなものに引っ掛かるやつが悪いのです。振り返って考えると「いつもと違う特殊な心持ち」だったなあと思うから、再発防止の意味合いも込めて、今回はその顛末(てんまつ・謝罪じゃなくて第3者視点から冷静に見た出来事の終始のこと)とその時の心境を、恥を忍んで書き綴ってみようと思います。文章で書き表されたものが殆ど(ほとんど)皆無だと思ったからです(上手く書き表せるかなぁ?)。皆さんが、もしくは皆さんの親御さんが、歳をとってからこう言う気持ちにならないように、こういう目に遭わないように、と願ってのことです。

引っ掛かってみるとなぜか「何事か?」という他人事の気持ちにも似た凄く複雑な気分です。若い世代の人には「どうしてあんな単純なわかりやすい謀略に引っ掛かるんだろう。しかもあれほどしつこく繰返し繰返し注意喚起してるのに後を断たない、ものすごく不思議」と思われてるに違いありません。私も不思議でした。だけど自分自身に発生しました。

「気を付けろ、注意しろ、一人で決めるな」と、CMなどでよく見掛けるけど、「はいはい、わかりましたよ、そんなものこの俺様が引っ掛かるわけがないじゃないか」と軽く受け流してました。以前はこれだけで確かに大丈夫でした。誰でもが「騙してやろう」というアプローチを受けたことがあると思うのですが、私の場合も何度もありました。そんな場面も複数回、この気持ちだけで掻い潜って来ました。なのに今回は引っ掛かりました。今となっては「俺、情けないやつだ」と思うばかりです。あのまっ白な気持ちは一体何だったんだろう?そうです、真っ白でした。メールを受け取る、なんてことは、滅多にありませんから、受け取った瞬間に舞い上がってしまったのかもしれません。電話でも同じことでしょう、久しぶりの受電ならば。自分の子供じゃない人に「俺おれ、俺だよ。風邪引いちゃったから別人みたいな声さ」これと同じです。舞い上がりは最強です、諸悪の根源です。

「全てのものごとに対して疑い深い自分」と思ってたけど、全然そうではありませんでした。無駄に無邪気でした。また、事が明らかになって以来、脳みそが勝手に都合の良さそうな言い訳を探してるみたいです。反省なんて全然していません。その上更に、まるで「疑うことを知らない純粋無垢な少年」に生まれ変わった気分でした。そう、気分でした。私は未だかつて純粋無垢な少年であったことがありませんから(ほんとだよ)、こんな気持ちは生まれて初めてだったかもしれません。疑うことなく携帯電話を操作してる間は、妙に居心地が良かったような気がします。結構ハイテンションでした。気持ち良かったです。何かしらの脳内ホルモンというやつでも出ていたかもしれません。いつまでもこんな時間が続けばいいな、と心の底で感じてました。はっと気が付いた時には、キョトンとしてしまって、半ば強引に夢から覚めさせられたような気分でした。でもたぶん顔つきには出てなかったと思います。何食わぬ顏だったと思います。アクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こしたお年寄りが、無表情で平然と「俺は踏み間違えてない。車のほうが故障でもしたんじゃないのか?」とまるで他人事のように答えてる景色が思い出されます。そんな気持ちでした。

「これはトシのせいだ、俺の心がけのせいじゃない」、強がりだけがむなしく頭の中に響きます。俺もトシとったのかな、人間として劣化したな、と実感させられました。これは人間としての劣化です、認めたくはないけど、間違いなく人間としての劣化に違いありません。だから冒頭で申し上げたとおりに「消去の気持ち」になるのです。

その後携帯電話の動きかたに変化はないけど、それは「現金が絡む機能を何も使ってない」から見えてないだけであって(トイカやペイペイカードみたいなやつは何も使ってない、銀行口座ともいっさい連動してない)既に何かのウイルスに感染してしまってるかもしれません。

 

普段は私は、感受性は素直なほうではありません。いつも否定的かつ批判的で、わざと故意にそうあるように心がけてます。あたかも「マスコミの理想像」のように、個人的にも「物事に批判的な人」であるべきだ、と常々考えています。そんな私が、最も否定されるべきで最も批判されるべきことをやってのけてしまいました。そ知らぬ顏だけど心の中ではガックリです。落胆です。人間として落第です。この先の人生で、これ以上悪くなることはあっても、良くなることはないでしょう。それを思うと淋しいです。

もし自分の身の回りにそういう人が発生してしまっても、「その人をあまり責めないほうがいい」と言われ勝ちですが、責めないのはとんでもない間違いで、咎めた(とがめた)ほうがいいです。きっと反省してません。あの時の私のように。

ここで強調したいのは、この「浮遊感」です、この「他人事感」です、これは何なんでしょうか?久しぶりの電話、久しぶりのメールが悪いのです。どうしてこうなるんでしょうか?「反省せよ」と言われても反省する気になりません。「ほんの少しの間違いさ」・・・こんな気持ちでいるやつは、やがていつの日にか繰り返してしまうことでしょう。

とりとめもなく興奮するに任せて書き殴ってしまったので、ここで心境心象をまとめます。

1・なぜか気持ちが真っ白。それどころか、スタート直後からなぜか気持ちいい。いわゆる「浮遊感」がある。久しぶりは、舞い上がりのモト、文字どおり「罪作り」。

2・指摘されたらすぐ気付く。でも、顔つきはまるで他人事を咎められたようにキョトンとしてる。

3・脳内では都合の良さそうな言い訳を探してる。そして、何かとんでもない戯言(たわごと)を口走る。

4・人間としての劣化は自覚できる。でも、反省はしない。再発防止の気持ちの欠片(かけら)もない 。

こんなところですかね、如何でしょうか?参考になりましたか?せめて皆さんだけは、こんなことには永遠に無縁であってほしいと思います。

 

また今回も長いお話しになりましたね。今回も最後までお付き合いくださいましてどうもありがとうございます。次回は「特別な観測者など存在しない」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。