こんにちは。お元気ですか?私は残念なことにあまり元気じゃありません。最近はめっきり腕の可動域が狭くなりつつあります。足のむくみ、脚力低下にも悩まされ続けてます。ただボーッとしてベッドの上からテレビを眺めてるしかありません(午前も午後も臥床対応)。だけど、そのテレビでさえ、最近では「またやってくれたなテレビ」と思います。もう少しで騙されるとこだった、いや、ほとんど騙されました。兵庫県知事選挙。斉藤もとひ○元県知事の再選。この人が当選?元尼崎市長の女の人じゃなかったの?今までの報道トーンと全然異なってます。まさか!とばかりにマスコミは一斉に自己弁護に奔走しました。来る日も来る日も悪者扱いだったですからね。あの頃は「斉藤知事さん叩き放題状態」でした。おねだりは確かに「トップにあるまじき心掛け」だし、パワハラも褒められる行為ではありません。自殺者も連発しました。だけど行政の功績もまた確かに出来つつありました。これまでの歴代知事は何してたんだ?私はこう思いました、悪者扱いに片寄り過ぎじゃない?確定してないことをそこまで叩く?本人が認めてから叩けばいいんじゃない?ニュースとは編集のやり方によって受けとめ方は大きく変わる。これって、その典型的パターンに嵌まってるんじゃない?集団イジメみたいだ。自殺者が出たことさえも、自殺というとんでもない結論しか出せなかった人柄なのかも知れない。逃げようとは思えなかったの?逃げることさえできなかったの?詳しく聞かなきゃわからない。聞くことができてもわからないかもしれない。第一、判定する権利があるのは俺じゃない。ならばなぜ見せる?世論形成?俺がその片棒を?うーむ、このあたりが知ることの知らせることの限界なのか?テレビって怖いな。結論が出る前に放映するからこういうことになるのだと、苦笑いを禁じ得ません。言い訳の行列に対して私はこう思います。SNSの弱点の指摘はブーメラン。正しくない情報もある。だけどテレビにもある。判断するのは自分だけ。責任とれるのも自分だけ。昨日今日は公職選挙法違反疑惑か?なんて騒いでるけど、「性懲りもなくまたか?」と思います。無償請け負いなら、何も問題ない。確かに怪しいけど今のところ法的にも問題ない。領収書を見つけてから騒げ!似てる例が、もしトラ、ほぼトラ、まじトラ。トランプがお嫌いなんですか?言い当てたのは俺が知る限りフジテレビのMr.サンデーに出てた木村太郎ただひとり。言いたい放題か?木村さんは「外れたらクビでもいい」と言いきった。普段は胡散臭い(うさんくさい)おじさんだけど、この時ばかりは見直した。今回のテーマは、発言の責任にかこつけて「スマホ禁止」です。
その昔存在したお笑いコントグループの「ザ・ドリフターズ」のことはもちろんご存じですよね?もうお亡くなりになってしまったけど、いかりや長介さんや、仲本工事さんや、途中参加の志村けんさんなどがいたグループです。私が認識できた時(私が物心ついた時、グループの発足時じゃない)の正式なグループ名は「碇谷長一(いかりやちょういち)とザ・ドリフターズ」でした。まだまだご存命の加藤茶さんや高木ブーさんもいました。私ぐらいの年齢になると、お笑いコントグループになる前のことも知ってます。結構有名な音楽バンドでした。メンバーの入れ替わりは激しかったんですよ(木ノ実ナナさんもいた)。茶とかブーとかちょっと砕けた名前になったのは、クレイジーキャッツみたいなおちゃらけバンドを経て、演奏することなきコントグループに変貌して以降です。その当時は「音楽バンドと言えば、まだ流行ってなかった漫才代わりのコミックバンドか、ヤンチャ者のための流行歌やロカビリーバンドか、その当時隆盛を極めてた少人数の男声合唱団か、みんなで楽しめる唱歌中心の合唱団か、コアなオーディオマニアや音楽マニアのためのシャンソン歌手とバックバンドかジャズバンドか、芸術香るクラシックの楽団」という空気でした。
ドリフターズと言うのはその当時米国に実在した人気グループ(確か黒人オンリー)、そのまんまの名前です。名前のパクリなんて今ではあり得ません。でも音楽的には本格的なバンド(ロカビリー)で、影武者なしで自分たちだけの力で演奏してました(当時のレベルでは上手いほう)。1965年のザ・ビートルズのたった1度の来日コンサートの前座としても出場してました。その頃は、バンジョーにサックスにコンガにフィドル(ヴィアイオリン)など様々な楽器がいました。リアルタイムで微かに(かすかに)覚えています。荒井注さん(オルガン)がまだ在籍してて、志村けんさん(キーボード)はまだいませんでした。ベースがいかりや長介さん、ドラムスが加藤茶さん、高木ブーさんがサイドギターとボーカルで、リードギターは仲本工事さんです。最初はみんな本名で名乗ってました。かとうひでゆき、たかぎとものすけ、なかもとこうき、しむらやすのり。後日になってから、かなりの(三代目リーダーの)碇谷のワンマンバンドだったと聞きました。
ドリフターズがお笑いグループに変貌して以来、私はこのように言われて育ちました「テレビで最近流行りのドリフターズを見てはいけない、子供の健全な育成のため(育成かよ)にはよくないことをやってる。8時だヨ!全員集合の視聴は全面的に禁止、その他のテレビは1日1時間にしろ 」。
なにぃ、全員集合は視聴禁止だって?でも、その当時はその他の番組を含め禁止するのもアリでした。なにぃ、1時間だって?短すぎる!でも、当時の感覚としてはそんなもんでした。そんな世の中でした。ドリフターズの何がよくないことなのかは告げられませんでした(想像はついた、不真面目だと言いたいの?確かに当時としてはとんでもないものだった、今なら尚更か)。両親はただひたすらに「どこの家でもそうしてる」の一点張りでした。今から思うとかなり理不尽ですが、その時はただ従順に言うことを聞きました。でも例外的に父親がいる時だけ見せてもらえました。その当時父親は、第1勤務は早朝7時から・第2勤務は夕方15時から・第3勤務は夜間23時から・の完全3交替制の郵便局郵便課勤務(他に貯金課と保険課があった)で夜勤あり、早朝勤務の時ならこの時間帯には在宅でした。一緒になって腹を抱えて笑い転げながら見てました(不真面目はどうした?)。放映日は土曜だったので翌週月曜日の朝、友達の話しの輪に加わることができました。嬉しかったです。
漫画を読むことも一部禁止されました。漫画の少年誌と言えば「少年マガジン」その他に少年サンデー・少年チャンピオン・少年キングなと多数あり(漫画王・コロコロコミック・冒険王などまだたくさんあった、少年向け漫画雑誌が流行ってたんだなぁ)、少年ジャンプはまだ創刊前でした。その頃は少年誌と言えば男の子の読み物。恐らく他誌との競争のためだとは思うけど、少年誌と銘打っておきながら今では信じられないほどエッチな漫画が掲載されてました(ハレンチ学園、あばしり一家など、俺も楽しみだったなぁ、じゅるじゅる)。その当時絶大な勢力を誇ったPTAという集団が「これは完璧に有害図書」と騒ぎ立てて「珠洲市生まれの永井豪という作家が書いた漫画が掲載されているものは一切閲覧禁止」にさせられました。永井豪さんは2種類の作風で知られた人です。エロ漫画とSFものです。大多数は少年誌向けエロ漫画だから、そういうイメージがついてしまったのでしょう。でも、この人が描くSF漫画こそ見ものでした。さすがは石ノ森章太郎(仮面ライダーの作者)の弟子。SF漫画のほうも(も、です)、後ろめたさはないものの一律禁止のためにこそこそ隠れて、それでも読まずにはいられませんでした。今になって思えば、リアルタイムで見られたことがありがたかったです。 ゲッターロボ、デビルマン、マジンガーZ、凄ノ王、バイオレンスジャック。エロ漫画とSF漫画。絵が同じなのに正反対な世界観でした。晩年の作品では両者が入り乱れて(キューティーハニーが入り乱れの先駆け、正義の味方なのにもの凄くエッチ、あれの極端なやつ)しまって、評価爆下がりでしたが、特にSFものなどは、仄めかす(ほのめかす)真実を伺わせてしかも先見の明に溢れてました。
禁止と言えば、最近は「子供には何才からスマホを持たせるべきか?」「チャイルドモードはどこに掛けるべきか?(全体にしか掛けられないやつを除く)」が盛んにテレビなどで議論されてます。結論はどの局のどのコメンテーターでも似たり寄ったりで、「年齢の経過具合は人によって異なるのではないか。だから一概に言うのは危険だけど、総じてやめさせるべき」という結論ばかりでした。はあ、一概ね、やめさせるべきね。一見するとまともそうなコメントに聞こえますが、私にでも言えそうな言わば「平凡な意見」です。いやしくも他人(ひと)に聞いてもらおうという意見なら、もっと画期的な見解があると期待してました。私達がまだ子供の頃、冒頭でも申し上げましたが、様々なものを禁止されて来ました。それの繰り返しを今やってます。仇でも取ってるんでしょうか?それとも「メディアは禁止するもんだ」と刷り込みされてるのでしょうか?・・・テレビというやつはいつもー、やっぱりね。時々一部の跳ねっ返りとお見受けする人たちが「そうだ、親が破滅するところを見せるべきだ、もっとやれもっと」と反逆者的な意見を述べてることもありますが、それさえもわざとらしいです。どうしても「取って付けた感」が拭えません。一概よりはるかにいいけど、だからといって真逆の意見を望んだわけではありません。折衷の妙案が欲しかった。
最近はスマホ禁止が語られます。私も「禁止」は行き過ぎだけど、弊害はあるのではないかと思います。ん?禁止?はて?その昔、どこかで聞いたことがあるようなないような。だけどスマホは最近出たばかり。うーむ、どこでいつ聞いた?指で弾くこと(タップというらしい)ができない俺は使えないけど。
スマホの弊害と言えば、例えばあご骨不具合、片頭痛、ブルーライトによる脳波異常、ど近眼からの網膜剥離、俯きっぱなしによるスマホ口臭、スマホっ首による腰痛肩こり、睡眠障害。様々な健康被害が語られています。中でも私が思う最大の弊害とは「スマホ依存症」だと思います。SNSはギャンブルと同じ構造だと思います。スマホを開くまで結果はお預け。「イイネ!」の数もわからないしコメントも読めない。起動するまでワクワク感が積み重なる、起動はまるで競馬の周回みたいです。イイネの数こそ、取ることができて良かったねという、イイネという名の「払戻金」。感想が聞ける「コメント欄」。期待してた高評価が得られなかった時に溜まるストレス。まるでギャンブルそのものです。ギャンブルだから、それに依存してしまいます。その他にもいっぱいあります、エゴサして、褒められると気持ちいいけど誹謗中傷も多いからへこむ、しかも誹謗中傷を沸き起こす構造になってる(わかります?誹謗中傷した彼には引け目など微塵もありません、匿名だし)、など。ちなみに、ストレスとは「絶体絶命に直面した時」に涌く感情だと思います。放たれた虎の目の前にいる状態のことだと思います。ストレスを感じなかったら、逃げも闘いも隠れもせず食われる私はうさぎ。スマホの前にいるということは、スマホに食べられるということなのです。スマホなんか手の届かないところに隠しておくしかありません(一応電話機だから)。
今、世間の関心事は「自分の子供が何歳になったらスマホを持たせてよいか」ではないでしょうか。私は、時々テレビでやってるこの「やめさせるべき」も、対抗意見の「もっとやれ、言い争え」も、 「持たせる」という上から目線に問題あると思います。特に「もっとやれ」には内心では(暮らし崩壊までのやり過ぎ厳禁を条件に)賛同していたのですが、「取って付けた感」の出所はこんなもの(マウント感)があるから、違和感を感じるのです。決して「所持してもらってる」とは言いません。そこには、「もしスマホを持ったらエンジョイできるのは誰?」という視点のみ存在します。「スマホの位置情報で利益を享受できるのは誰?」という視点は消し飛んでます。まあ、無理もありません。今時のスマホは、多機能なんで何でも出来ますからね。ゲームにテレビ、スポーツニュースに天気予報、SNSに調べもの。ついつい熱中してしまいます。謙虚になれ、と言う方が無理だと思います。
しかし、姿かたちこそ違えど、昔も今も「○○を禁止」は変わらないのですね。マナーモード?「使わせてやってるのは俺」と思ってる証拠です。隷属的な人に「禁止」を申し渡すのが人間の本性なのでしょうか?でも、禁止したくなるのも当然。「家計が逼迫する」と言ったって理解してもらえるわけがありません。逼迫して行く様子を見せてみろ」では、本当に逼迫したら自分たちが困ります。だけど、世間の実情を知ることはとても大切だと思います。わかってもらえなくても諦めない、わかってもらえなくても諦めない、わかるまでやる、この繰り返しこそが教育というものなのではないでしょうか?ええ、解決する日なんか、決して来ることはありません。教えるほうにも教えられるほうにも覚悟が必要です。親対子供、利害関係の真っ正面からの対立です。
「現場の空気をおまえは知っているのか?この切実さをおまえは知っているのか?」と言われたら、私には返す言葉がありません。文章全体の流れでは、ここで自分の意見を披露するところなのですが、問題が深すぎて恐ろしすぎて、私案はありますが、私には何も言えそうにはありません。だから「こう言うふうにすべき」というのは今回は遠慮させていただきます。その解決策が今回のテーマじゃないからです。「部外者が何を言う」と言われそうです。
この世には悩み事は尽きることはありません。「これでいいのかな」どれも深いです。生活に密着したことから、人生の選択を迫られた時まで、こうしたことに翻弄されながら生きて行くのが人生なのだと思います。
きゅうり1本選ぶのも人生、できるだけ真っ直ぐで色艶が良いもの。俺は何をやってるんだろうと思います。曲がっててもいいじゃん。
テレビでも見ようとチャンネルを選ぶのも人生、局による違いがわかるの?俺は何をやってるんだろうと思います。バラエティか報道かドラマかスポーツ中継か。どこでも一緒じゃないの?ただ人間の声さえ聞こえたらいいんでしょう?
結婚相手を選ぶのも人生、これでいいのかな?はてなが付いた時にはもう引き返せなかったりして。
これらと同様に、スマホを与えるのか与えないかを悩むのです。大したことじゃありません。
次回のブログのテーマは、第43回に続いての2回目の時事問題の随筆です。きっとまた長くなります。タイトルは「異常気象が恒常化する日と地球温暖化の解決方法の提案」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。