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長過ぎね?俺の随筆(その16)『妖怪と宇宙人』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか。どうやらやっと春がやって来ました(行きすぎて暑すぎる、かな?)。温かいと、自然に笑顔になりますね。今回のテーマは「妖怪と宇宙人」です。

 

宇宙人はいるのか、それともいないのか?子供の頃によく仲間逹と語りあった疑問です。その当時は誰にも確信がなくてけんけんがくがくの論争だったけど、今や「地球外生物は居るのが当たり前、ただ接触する機会が見つけられないだけ」などと言われてますね。でも、誰もその姿を見た者はありません(昔の人は会ったかも。だから足の裏をくすぐられてるような気分になるのね)。子供の頃こう教えられたものでした。「火星には宇宙人が住んでる、👾タコかクラゲみたいなフォルムで立ち上がり、何本もの足を持ち、かん高くて震える声で『ワレワレハ、ウチュウジンダ』と何故か日本語で自己紹介してくれるのだ。👾の形だそうだけど、そのあたりが違和感たっぷり、なんだか恐いね。出会いたくないね。出くわしたら逃げろよ」などと刷り込みされたものでした。ホントに出くわしたらどうしようと思ってました。👾型宇宙人の姿はアメリカかどこか外国のSF小説の挿し絵をもとにして書かれたものだと聞いたことがあります。まだ子供だった私の目には、あの絵、かなりリアルだったなあ。だけど、世界的に有名なこの形は、言わば外国人の先入観の固まりです。私達日本人の描く(えがく)宇宙人のイメージとはちょっと違うな、なんて思うけど、外国人の描く絵画だから価値観世界観が違うのは当然です(よくできてる、とは思うんですけどね)。もし仮に日本人が考えた宇宙人が世界に向けて発信されたのであれば、もっともっと👾のイメージからかけはなれた、妖怪の大名行列のような姿形になっていたことでしょう(かぐや姫のお話しを参考にして)。👾の時点で既に「うーん、何だかなぁ」だけど、例え私が宇宙人の姿を考えたとしても、妖怪の姿になってたことでしょう。明治年間までは、UFOのことを「うつろ船」と呼んでたロマン心溢れる祖先を持つ私達のことだから、独自の価値観・宇宙人感に溢れてて、きっといつでも誰でもいずこでも妖怪の姿を描くに違いありません。鬼の正体は流行り病・疫病のことだそうだけど、妖怪の正体はひょっとしたら宇宙人なのかもしれません。妖怪の絵を書く、外国人から見たらとびっきりへたくそ(実は案外巧妙)な絵を、この感覚は日本人共通です。そして世界中の笑い者に。

そんなことはどうでもいいとして。

火星人タコ👾説の最大の弱点を私は「宇宙人は動物」と決め付けてることだと思います。「宇宙人は動物」と誰が決めたんでしょうか?かといって「植物だ」と言ってるわけじゃありません。例えばがゲゲゲの鬼太郎に登場する「一反木綿」をあなたは動物だと思いますかそれとも植物だと思いますか?

「うつろ船を操ってこの地球までやって来たので、よもや植物ではあるまい」と考えるのは当然だけど、👾の絵を眺めながら私はこう思いました。「ふうん、これが宇宙人の姿か?この想像図を否定できない。何か違うなと思うけど、俺も見たことがないからな。でもこの絵は常識に捉われ過ぎてるんじゃないか?動物でも植物でもないんじゃないのか?」などと思いました。つい先程ですが「妖怪の姿を描いて世界中の笑い者に」と書きましたけど、私が思うに、笑い者などではなく「妖怪で当たらずとも遠からず」かもしれません。私達は常識にとらわれ過ぎて、理解できることさえわからなくなってるのかもしれません。宇宙人が妖怪となるプロセスは「その人(人?)は動物でも植物でもない、だけど自分の意思で動くことができる、しかもうつろ船を作ることができるほど知性が高い。その姿やいかに?」ほらぁ、ちょっと考えただけで妖怪になりました。妖怪の絵は宇宙人なのです。宇宙人とは妖怪なのです。「たかが昔の絵」となめてはなりません。

常識はずれなことを考える時、その周囲のこと(例えば前提条件や物事)や本体を、常識で考えてはならないと思います。既存の概念を越えたところに、往々にして謎の答えはあるものです。もし自分の予想が大幅に外れたとしたら、それは「外れた程度の大きさの分だけ、自分は常識から離れられなかったのだ」と己を責めるべきでしょう。では、何故、私達には宇宙人との接触の機会がないのでしょうか?その答えを私は、3通り考えています。このどれかだと思います。まず第1案、宇宙人は酸素が苦手。この地球でも先カンブリア期の生き物は硫化水素で動いてたと言われています。アノマノカリスという生き物の化石を調べて少しずつ判って来たことだそうです。 彼等にとって酸素は毒なのです。 第2案、物陰から様子をうかがってる。「自分が取るであろう行動と同じ」にあるのではないかと思います。例えば自分が雪山で雪男らしきものを見かけたとしましょう。あくまでも相手に気がつかれてないことが前提です。すると私は、木陰なんかに隠れて様子を伺い、雪男という生き物が自分に危害及び不利益をもたらすのかもたらさないのかを見極めようとするでしょう。最初からちょっかいを出そうなんて思わないはずですよね?それと同じです。最後に第3案、彼等は我々とは異次元の世界からやって来た、もしくは反物質の世界からやって来た、もしくはパラレルワールド(並行世界)からやって来た。これでは出会うわけにはいかないですね。会った途端にこの世が壊れてしまいます。つまり、地球人と宇宙人が出会わないのは、酸素が苦手もしくは、異次元からやって来たもしくは、宇宙人側に会うわけにはいかないという思いがあるからです。さあ、今こそ常識を捨てましょう。何か新しいものが見えてくるかもしれません。

 

 

今回もなかなかの長文でした。これでも丸々一文削除したんです。最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。この後ろに付いているはずのアーカイブもどうぞよろしくお願いいたします(先月は消えてたから、もうおしまいかもしれませんけど)。それではご機嫌よう、さようなら。