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長過ぎね?俺の随筆(その59)『静かな退職』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。そして、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年も(今年こそは)頑張ってブログを書き続けたいと強く願っております。あなたは元気にお過ごしでしょうか?私はまあまあ元気です。しかし私は来る日も来る日も、やるべきことがなくてちょっと困り果てています。ただ徒(いたずら)に、投げつけられた言葉だけが、消化不足のまま心に静かに蓄積されて行きます。静かにちなんで、今回のテーマはたまたまテレビから流れて来た耳慣れない言葉の「静かな退職」です。

…静かな退職ぅ?そんな言い方、聞いたことないなぁ。どんなものなの?

…このブログの内容をおおまかに言うと「退職の本質の俺なりの解明と、静かな退職は良くないことだと俺は思う」というお話しさ!(おっ?巧妙な問題のすり替え?)

…だからぁ、解明するのは「個人的な意見の展開」として受け止めておくからまぁいいけど、肝心要の「静かな退職」って何のこと?

…まあまあどうどうおちつけおちつけ。

…私は暴れ馬か?まぁいいや。それでは暴れ馬の独り言をご一読ください(独り言なら呟くだけど、ブログだから「読」を許してね)。そして、暴れ馬の暴れっぷりをとくとご覧ください。

 

今日もまたテレビでは「退職代行が繁盛してる」と報じてました。退職するなんて、労働者が会社を辞めるなんて、些細な出来事なんかじゃありません。人生最大級の問題だと思います。「人生の問題」と言われて誰しもが頭をよぎるであろう「離婚」は、インパクトは絶大だけどアクションはあっという間に素っ気なく終わるものなのです(経験者は語る)。ガックリ!あ~あ、やっちゃったなぁ、これで良かったのかな悪かったのかな、という気分になります(他にもいろいろ思うところはあるけれどと、経験者は語る)。あろうことにも、そんな離婚より大事(おおごと)の「退職」を「代行」してもらうの?

実は代行するのは手続きだけなのです。退職代行とは、勤め先つまり、民間各種企業、お役所、学校の教師、各種公営団体などを辞めたいと思った人の、勤め先への退職届の提出を有償で代行するサービスのことだそうです。1件につき22,000円也(案外安いな)。その是非は、ものすごく極端な二分割。賛否両論に真っ二つだそうです。私の意見は取り敢えず置いといて、文末で明らかにします…。

 

うーん?そもそも退職は「代行」して貰うものなのかしらん?昭和の遺物の燃えかすのごとき私には、とても信じることができません。それに、意志に反して勤め先を強制退職(つまり、運転できなくて会話もできない営業マンは使いたくても使えないということ、悪く言えば体よくお払い箱のクビ)させられて今は施設に暮らす私が、今さら退職に興味がある?「勤め先がなくなったおまえには、もう関係ないはず」なんてお思いのことでしょうが、もう35年前のことですが、退職なら曲がりなりにも(曲がり過ぎだけど)私も経験者の一人です。新しい会社に転職したいという興味本位の理由だけで、大学新卒で入社した会社を6年で中途退社しました。今から思うとこの「退職理由」が問題でした。退職金は勤労功労金の名前でわずか8,000円でした。今から思うと低額と言えどもよくぞ貰えた、払ってくれたものです。退職金名目では、20年勤続しないとびた一文貰えないという独自の規則(ひとえに独自でもないな)がありました。

退職したいという願望が湧きおこってしまう気持ちや心構えは、経験者だからこそわからないでもないし(思い違いか?)、そこには何か普遍的な考え方が潜んでるかもしれないので、そのあたりも含めて感じたことを書いてみようと思います。

 

退職代行してくれる会社のうち、最大手の会社の名は「㈱モームリ」でしたっけ?ある日テレビを見ていたら、その日だけで問い合わせが200件!実行したのは45件!退職するって、自分のことでしょう?なんで自分でやらないの?見ず知らずの人に見られて、みっともないなとは思わなかったの?バツが悪いなぁとは思わなかったの?恥だとは思わなかったの?武士じゃないので恥の概念なんて持ち合わせるはずはない、なんて言いっこなしです。日本人なら誰しもが恥だと思うはずです。情けないと思うはずです。私達はいつの時代に於いても、そういう価値観の下(もと)、そういう教育を受けて来たはずです。もしかしてこのあたりに「世代という名の乖離」があるのでしょうか?私の正体とは本当に「昭和時代の遺物の燃えかす」なのでしょうか?そもそも遺物だからといって、燃やしてしまってもいいものなんでしょうか?燃えかすだなんて、最初は軽いジョークのつもりだったけど、最早今では冗談ではなくなりました。どうやら価値観が本当に違うみたいです。心底から「ここでやっていることは自分にはマッチしない」とでも思ってるんでしょうか?

退職したいと思った本当の理由は、いくらたずねても本人の口からは決して語られることはありません。本当の理由なんて本人にもわからないのです。語られるのは「出任せ」のことばかり。あってもそれは複数の「思いつきのセリフ」が、まるで解けないパズルのように複雑に絡み合ってます。決して解くことはできません。理由なんて辞めようとしてる自分自身でさえも、はっきりとわからないのです。辞められる企業側も、辞めようとしてる本人から直接、本心からの理由を聞き出せなくて(質問は全て代行業者経由、携帯番号変更など接触防止対策もされてる)、再発防止のしようがなくて、「またか?」と途方に暮れてしまいます。採用するのにも退職手続きにも結構な経費がかかります。経営者目線でいうと、金もかかることだし、自分が経営する企業の離職率を少しでも下げたいと思ってるはずです。理想の職場と思われたいはずです。それが当然、悪いことなんかじゃありません。それにしても本当の「辞める理由」かぁ。わからんなぁ。

例えばだけど、もしも「思ってたのと違う」というなら、好きなことや憧れてたことは仕事にしないほうが良いと思うんだけどなぁ。「思い」があるから「違う」が飛び出す。辛い時の逃げ場がなくなる。だって仕事ってこんなもんだと私は思うのです。楽もあります。だけど同じくらい苦もあります(水戸黄門?)。最初から好きだったものに対して、もしかして「苦」に出くわしたら「なんで?こんなに好きなのになぜ俺だけがこんな目に遭うんだ?」などと、理不尽だという感情だけが増幅されてしまうことでしょう。でも、最初は好きでも嫌いでもなかったものに対してもしかして「楽」が訪れたら、「ラッキー」なんて望外のよろこびにニヤけてしまうかもしれないし、だんだんその仕事内容が好きになるかもしれません(ほとんどの場合好きになると思う)。プライドも徐々に生まれて来るかもしれません(ほとんどの場合生まれると思う)。

彼は、会社を去ることに対して惜しむ気持ちの欠片もなかったのでしょうか?上司の顔もみたくなかったのかな?後ろめたいことでもあったのかな?行きにくかったんだなぁ。て言うか精神的に行くことができなかったんだなぁ。私はかつてある部下だった男の中途退職者から、「バイト感覚で入社したからバイト感覚で辞めるのだ」と聞いたことあります。モームリ(もう無理)というネーミングから連想されるものとは、ちょっと意味合いが違うみたいですね。もう無理だと言う能動的なものじゃありません。それは「与えられた労働をする」という環境の方が、与えられたものであるにも関わらず「俺の思いどおりにしっくり来ないことがいやだ」、という受動的なものらしいです。仕事とは会社とは「来てくれなくてはダメだ」と思うの?仕事とは、来るんじゃなくて掴むものなんだよ。それが「働くことの悦び」なんだよ。言い替えたら、それが「幸せ」なんだよ。掴むものなんだよ。認識がちょっとまずいんじゃないかい…、と思います。仕事なんて、自動的には来てくれないものと思ったほうがいいのに。退職しても、できた時間はゲーム三昧になるだけなんですけどね(やっぱりね、職探しなんてするはずもない)。仕事内容については、好きでも嫌いでもないらしいです。考えたことはないらしいです。「面倒なことに関わりたくないから、金を払ってでも代行して貰おう」なんて、令和の世ではあり得ることかもしれないけど、昭和時代の燃えかす決定の身の上で、怪魚シーラカンスみたく「もうじき化石」(正しくは生きた化石ね)の私には全く理解することができません。退職代行代金22,000円也は、あたかも「生きて行くための必要経費」みたいに、闇に消えて行くのです。

 

その一方、世の中には「静かな退職」という考え方があるそうです。実際に起きてるそうです。静かに会社を辞める?騒々しいとか騒々しくない?どういう意味?退職する時にマツケンサンバ2でも「俺~俺~」とか何とか歌いながらダンサーを並べるみたいな賑やかさが足りないだとか、ただひとり誰にも挨拶もせず密やかに勤務先を去れということ?退職するのにそこが論点?退職を飾る言葉が静か?何かしっくり来ないなぁ。私は初めて聞きました。説明を受けるまでは、それがどんなものかが全く想像できませんでした。

その言葉が意味するものとは、就労の場に於いて、意欲も能力も今が人生最高点のはず(はず?ああ、自己評価ね)の自分が、給料面に於いても人事評価面でも充分に満足できるほど評価されてない。最低評価でもないけど、もっと自分が注目されてもいいはずだと自分自身では確信してる。なのにこんな低評価。最下位評価なら「評価してるあいつが狂ってる(狂ってないけど)」の一言で済むけれど、一見すると至極まっとうそうな低評価(まっとうだけど)。これじゃあここにいるみんなが信じてしまうじゃないか!もう待てない。もう頑張れない。もう次に進めない。こうなってしまったのは俺のせい?違うでしょ?(実はそうだけど自分にはわからない)。だから逆に去るのではなくて、居残り続けてグレてやる。拗ねて(すねて)やる。…なんて思う気持ちのことだそうです。リアルに退職するわけではありません。特徴的な行動として、むしろ居座り続けます。徹底的に命令されたことだけしかしません。だから「本当の退職」と区別して「静かな退職」と呼ばれます。これは、歪んだ形の精神障がい?健常者なのに障がい者のふり?ふりなんて、我々にもの凄く失礼だなぁ。

だけど、物理的にそのように自己評価してしまうのも、ある意味では不自然じゃない年齢です。30代後半~40代前半くらいが多いようです。当人は「自己最高到達点」と思いたいだろうな。

 

そのメカニズムをおさらいすると

1・まず最初はすねて見せる、僻んで(ひがんで)見せる。(→この時点で既に大人じゃないな)

2・それでも誰も振り返ってくれないから腹立しく思う。(→誰もが他人事には無関心がかなりの度合いで当たり前だと思うけど、にも関わらず怒る?)

3・だけど、暴力に訴えて教育の足りない人と思われるのも何かと差し障りもありそう。(→無秩序状況を回避する理性だけは一丁前に残ってる)

4・最後には黙り込みます。(→破壊行為は迷惑だけど、思ってることがわかりにくいからいっそのこと暴れてみろよ)

 

黙ったままで「生きた機械装置」になります。人間同士なら効くはずの「融通」も効きません。全ては「Yes」だけです。「No」はありません。反論もしてはくれません。例え出来そうになくても「出来ません」などとは言いません。逆質問してみても無言です。「わかったかい?」と訊ねても知らん顔して無言を貫きます。まるで「聞こえないぞアピール」をされてるみたいに。そういう意味では、いないも同然。退職したも同然。何を訊いても答えないから、普通の退職と区別するための「静かな退職」です。「言われたことだけやる」。そうなってしまった人は、みんなの邪魔するわけじゃないけど、作業効率は徹底的に考えません。有益性や親切心も故意に皆無であろうとします。所属してる連帯感を思い出したくはありません。収入さえも顧みず、家族なんてどうなろうと知ったことではありません。ここにいるのは自分だけ。徹底してます。ボタンを押せば動く、離せば止まるみたいな「働くマシーン」と言ってもいいのかもしれません。上司の業務命令を拒否するわけでもないので、考え樣によっては「それが彼の生き方だ、人生スタイルだ。だから邪魔してはいけない、口を挟んではいけない」となります。なってしまいます。ならざるを得ません。

これは承認欲求の歪んだ姿?大人気(おとなげ)ないな。お子ちゃまか?だけど今はこんな人を大量生産してしまう社会構造なのでしょうか?

現代の労働環境が整ってるからこそのこの気持ちなのでしょうか?現在の教育制度の歪み(ゆがみ)なのかな?昭和の時代より確かに労働環境は整ったけど(俺の時代は、グーで叩いた机が変形するほどのパワハラ・往復びんた・過重ノルマ・深夜残業・サービス休日出勤命令・出世と給与の男女差別・おーいお茶これコピっといて、などなど当たり前だった)、その代わり何か大切なものを見失ったのか?花粉症と同じく、クリーンルームみたいな環境に慣れてしまって、雑菌耐性が弱まった?まるで現代病じゃないか?昭和時代にはそんな考え方はなかったことです。誰にも迷惑掛けてるわけでもないけど、まかり間違ったら明日はあなたの身かも(明日は高齢具合甚だしい俺はもういない)。

 

 

ここでこのように言わせてください。結論から言うと、転職するための退職なら、深い意味を伴った上での「どこに行っても同じ」になります。絶対そうなります(珍しく言い切るこの私)。自分の決意と自分のビジョンなき退職ならどこに行っても同じ。大同小異。望んでもなかなかに変わらないけど、望まないところが改変改悪してしまうのです。変わるべきは自分。自分が本当に変わってなければなりません。

しかし、「これを機会にして気分一新」といった気持ちになってしまうこともわからなくもありません。ここに居続けたら自分がダメになる、とか、新しい環境になりさえすれば新しい自分を見つけられるに違いない(俺がそうだった)、などという事例です。だけどこれらのことは「自分の見間違い」に過ぎません。過大評価のし過ぎです。気持ちが安定しない時には「やめてしまいたい」という気分になってしまい勝ちなのは仕方ないですが、自分の思いは必ず自分に還って(返って)来るのです。自分がしたことは全部間違いなく自己責任なのです。例えば「自分の気持ちが傾いた!やってられっか!」と言うなら、そのなれの果ても完全に自己責任なのです。どうなっても誰にも「知らない」と言われるだけなのです。でも、もしも「気がついたら勤め先がブラック企業だった」と言う他人責任だったら、どのように振る舞えばいいのでしょうか?未来永劫この環境か、と思うとやりきれない気持ちになることはあります。経験者だからこそわかります(私が辞めた会社がブラックだった、ということではありません、むしろ考えてみると圧倒的にホワイト企業でした、今では感謝しかありません)。だけど、そんなブラック企業に出くわしてしまった時にさえ「それでも尚変わるべきは自分」なのです。環境のほうではありません。「ブラックだから」ではありません。なぜならば、自分を取り巻く環境は、たとえブラック企業相手であろうとしても、それは自分が作り出したものなのです。ブラック企業のブラックさ加減を引き出したのは誰あろう他ならぬ私自身なのです。ブラックは嫌だから何とかしようという気持ちも、世の中はこんなもんだから特定の人とだけ仲良くして後は長いものには巻かれようという気持ちも、ただひたすらに「嫌だ嫌だ」と叫び続けて後は知らん顔するだけの気持ちも(実はそれほどブラックでもなく不満でもない、ただ騒ぎたいだけ)、全部自分の気持ち次第です(そこに徹底抗戦の文字はない)。だから、どこまでに行ってもついて来る。そういう仕組みができあがってる、と思わなくてはなりません。転職したのに伴い、環境が良くなる確率は33%だけど、環境が変わらない確率もまた33%なのです。とどめに、環境が尚一層悪くなる確率も33%。あなたはじゃんけんする時に必ず勝てますか?自分はここに居続けても変われるはず。環境さえ変われば自分も変われる、というのは陥りやすい脆くて儚い夢(もろくてはかないゆめ)です。自分こそが変わらなくてはなりません。退職の本質とは「不満の捏造とその責任転嫁」なのです。なんで捏造するの?なんで物語をでっち上げなきゃならないの?それは「思いどおりにならないから、能力を発揮できない」からです。このことは、まんざら「自分を買いかぶり過ぎて」のことばかりでもありません。本当に発揮できてないのです。100点満点の98点も取れてるというほどのことでもないけど、60点かも知れないけど、自分的には100点のつもりです。だけど20点なのです。そのあたりの誤差は、これから時間を費やしてスローペースで修正して行くしかないのですが、自分だけは結果を急ぎます。求めます。その焦燥感が不満となって表れるのです。物語を捏造するのです。

そうとわかってそれでも尚、逃げたい人だけ逃げたらいい。逃げる人に対して、「逃げることはいけないことだ」と言うわけじゃないけど、令和の今では「苦しい時は逃げるべきだ」という風潮ですが、逃亡者の謗り(そしり)覚悟の上で逃げるのです(おそらく浴びる)。たとえ自分の勤め先がブラック企業であったとしても、居残り続けて闘うべきなのです。環境を変えるため。居残り続けて「静かな退職」をするのとは、取る態度は同じだけど、心構えは正反対です。関わりたくないVs.「これはおかしい」と訴え続けて徹底的に関わって環境を変えたい、との。上司に殴られたら、それから警察に行けばいいのです。上司に蹴られたら、それから蹴り返してやればいいのです。ただし、衆人監視の状況必須。居残り続けて、環境を変えるために闘うのです。ブラック企業の人(やつ)に「あいつは逃げた」と後ろ指を指されないために。

私はかつて、退職した会社の私の送別会の挨拶を、思いっきり間違えました。どのように間違えたかというと、挨拶で私は「もう明日から私のことは忘れてください。居なかったことにしてもらって構いません」と言いました。これが凡人の生き方だと考えたのです。庶民は庶民らしく消えて行く。残す名もない。墓標すらいらない。王侯貴族や立派な学者や超人的なスポーツ選手や物凄く心揺さぶる作品を作った芸術家ならばいざ知らず、俺は「その他おおぜいのうちの一人。生きた痕跡なんていらない」と思ってたのです。だけど、ここに来て「本当に生まれつきの障がいを抱えた人」の姿を見てから考えが変わりました。「甘えちゃいけない、彼等はそ知らぬ顔をしてるけど、絶対俺より辛いはず」。そう、これが現実なのです。やれる人ならやれる限り痕跡を残す。だって、やろうと思ってもやれない人がこんなにいっぱいいる。自分の人生は、自分で責任を取らなくてはならない。人知れず消えようとすることも、代行してもらうことも間違い。退職も責任転化だけど、退職代行も更に上乗せした責任転嫁。代行させて自分は逃亡。人としてあるまじき所業だと思います。

 

 

マツケンサンバ2の歌い出しの歌詞をご存じですか?♪「叩けボンゴ、踊れサンバ、南の島のカルニバル」。そうか、歌って踊るのか。楽しそうだなぁ。だけど、サンバにボンゴは使いません。音が違います。サンバは縦揺れを求めて、ボンゴは横揺れの音。TMネットワークのゲット・ワイルドとザ・ブームの島唄みたいに。サンバにはボンゴを使うというイメージですが、少なくとも私は見たことありません。同じように、静かな退職する人は肝心なことがわかってないかもしれません。歌い出しから間違える?まさに「何か違う」。肝心なことが見えてません。

私は退職代行も静かな退職も反対します。なかんづく代行なんて。これは「昭和の感覚」なのかもしれません。だけどたまには昭和のほうが普遍的に正しい時もあります。令和の感覚を鵜呑みしてはならないこともあるのです。退職経験者にも関わらず、それでもなお反対するのは、かつての自分が若すぎて、退職の本質が責任転嫁だと見抜けなかったためです。環境を作り出したのは自分だったのです。自分がでっち上げた「ブラック」だったのです。全然ブラックじゃありませんでした。その上、転職先がブラック企業でなくて幸運だったに過ぎません。なお私は、私のこの考え方を強要するものではありません。後ろ指指されても、逃げなくてはならない時は逃げてください。思わず知らず逃げてます。退職するのは、代行してもらえば良いというものじゃない。叩きたいと思うボンコはそこにはないのです。もとより使用しないから、空振りに終わります。私は今、退職しようとしてるあなたを説得しようとしてるのではありません。変わるべきは自分のほう。今日からスマホは弄りません、あなたにはできますか?ダイエットのために今日から私は肉類は食べません、あなたにはできますか?自分が変われというなら変わってやろうじゃないか、あなたにはできますか?退職したいと思う人には「自分のほうが変われよ」環境がヤバいと思ってる人には「ゆっくりでいいから自分で変えるように心掛けろ、年単位かかるかもしれないけど、そして静かにしてろ」静かにし過ぎて「静かな退職」をしてしまった人には「最もしてはならない態度を取ってしまった人」と私は思います。

 

新年早々長かったですね。次回のブログは、久しぶりに時事問題「外国人問題と貧富二極化とで右傾化」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。