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長過ぎね?俺の随筆(その34)『東日本と西日本』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか?私は元気です。あぁ今、誤打込みしそうだった危なかった、私は元気ですのくだりが「私は限界です」になった、すぐに気がついて修正、でも・・・なぜだか「限界」が刺さる、グサッ。

世間では相変わらず「ジャニーズ問題改めスマイルアップ問題」で揺れてますね。私の世代はフォーリーブスの時代すら知ってるのです、古いでしょう?あの問題は議論する人によってさまざまな見解がありますから、この場では私の見方に言及するのは控えさせていただきます(炎上防止かな?)。でも、そんな心構えに反して一言だけ言わせてください。タレントたちは悪くない。CMをはじめ、やり過ぎ。本当に悪いのは、見て見ぬフリしたマスコミ。

別に芸能界に別に興味があるわけでもなく、「男性アイドルだけなんて尋常じゃないな(確かに尋常じゃなかった)、別に悪くはないけどさ(悪かった)。ウーム、人はさまざまなものだ」と思ったものでした。さまざまな人にかこつけて、今回は様々な暮らし方を考察してみたいと思います。テーマは「東日本と西日本」です。

 

まだ若かった頃、私は大学に進学したのを契機に埼玉県川越市に引っ越ししました。進学した大学は第一希望でも第二希望でもありませんでしたが(滑り止めのつもりだった)、現役で受験全敗だった私には、一浪の身分故に(ゆえに)もうこれ以上の余裕はありませんでした(後から思うとあったけど)。3人の仲間のうち1人は彼の第一希望にきっちり進み(京都市のD大)、もう1人は彼にとっての第ニ希望の東京都内のH大学(江川卓さんがかつていたとこ)です。俺だけ第一希望にも第ニ希望にも「サクラチル(本当にこういう電報が来た)」を喰らって、進学先は第三希望のD大学(結果的に1年でT大学に転学したけど)、いわば「落胆の上京」でした。「希望溢れる上京」でありたかったなぁ。D大学は池袋から電車で80分の埼玉県東松山市にありました(ヌートバー選手のお母さんの実家がある)。あっ、行き先が埼玉県だから上京とは言えないか、京じゃないもんな。

新しく住むところは「人里離れた民営学生寮」でした(周囲に娯楽施設がないから誘惑されない)。住むことになった川越市も大学がある東松山市も、同じ東武東上線沿線にあります。しかし、川越と言ってもイメージするような住宅街じゃなくて、その当時まだところどころに残ってた武蔵野原野の端っこ、最寄りの駅は川越市駅じゃなくて鶴ヶ島駅(歩いて25分となかなか遠い)、今では鶴ヶ島市だけどその当時は入間郡鶴ヶ島町。率直に言って「辺境の片田舎」と呼べるものでした。一応私は名古屋市のど真ん中の生まれ育ち、いくら首都圏と言ってもその落差は絶大です。本気で「猫バスでも来そう」なところでした。あっ、トトロはまだ未公開だな。

 

たどり着いた先では、初めての独り暮らしだったこともあり、見るもの聞くもの全てが驚きの連続でした。しかし、驚かされたのは独り暮らしのせいだけではありません。東日本と西日本の生活習慣の違いに驚かされたのです。またこういう実感もありました「俺は西と東の境目に住んでたな」。気付かないうちに東と西がごっちゃ混ぜになってました。自覚がないのに「関西のほうから来た人」という色眼鏡で見られたことにも心揺さぶられました(東北人目線にはそう見えるんだそう、言われて見れば確かに西…)。

 

例を挙げますと・・・

 

何から何まで「さん」を付ける人だと思われる。そう言えば、おいなりさん、お豆さん、おかゆさん、おはようさん、おふくろさん、えべすさん、お不動さん、お寺さん、お伊勢さん、おちょぼさん(海津市の千代保稲荷のこと)。ちょっと違うけど、おっさま(和尚のこと)、おとっつぁんおっかさん、飴ちゃん。さん付けなんてないつもりだったけど俺にもうっすらあるなぁ。でも名古屋が震源地じゃないぞ。

「はる」は尊敬語以下謙譲語以上、親しみがあるけど丁寧語でもないから使いやすい。どこ行かはるん?何してはるの?騒がはったら好かん、自分では使わないけど意味だけはわかる。

関東では、「自分」は自分のことだけど、関西では「自分」はあなた。「何やっとるん?自分?」で、苦情言われてるとは思わなかったそう(自省してると思ったらしい)。俺もその一派と思われる。大津市あたりまで行かないと一人称と二人称はひっくり返らないけど、北海道人から見たら富士山より西は全部関西。

「それ、直しといて」と言われて、並び替えるのが関西人。修理するために分解するのが関東人。名古屋人は薬を飲ませようとする。自分的には「なおせ」と言われたら、治療7割・修理3割・整列はあり得ない、個人差あるかな?

並んで座ってる時に「はやくまわしぃな」と言われて、閲覧するのを急ぐのが関西人。皿回しよろしく回転させるのが関東人。名古屋人なら今更準備しようとする(俺だったら両こぶしを地面について「はっけよい」)。

ひな祭りにひなあられじゃなくすあま、端午の節句にも柏餅にちまきじゃなくすあま(のみ)、中秋の名月の日にもちまきじゃなくすあま、すあまと名乗るので甘いと思ったら甘くない菱餅みたい。

助六が寿司屋に通じない「助六ください」「助六って誰だい?」「おいなりさんと海苔巻きのセットだよ、知らないの?」「知らねえよ。おいなりさん?あぁ、稲荷寿司のことか。海苔巻き?海苔で何を巻けばいい?あぁ、太巻きのことね。でも、何でわざわざセットにする?」「知らん。とにかく作ってよ」これで一応一件落着。助六はたしか歌舞伎見物の仕出し弁当、言い方の由来は人様の名前、もしくは出し物の名前かな?

 

駅の立ち食いそばの汁が真っ黒で驚いた。名古屋もいい加減濃いと思ってたけどその比じゃなかった。味のほうはそれほど変わりはないけど(やや大阪のほうがだしが香るかな)、色の濃さだけは絶対に違う。名古屋のほうが岐阜より汁の色が濃い、岐阜のほうが大津より濃い、大津のほうが京都より濃い、京都のほうが大阪より濃い。一番薄いのが大阪。それと同じ並びで名古屋より東京のほうが汁の色が濃いのであるとしたなら、汁は姫路を過ぎたら透明なのか?

これについては先輩が答を知ってた。

「透明になるんじゃなくて、醤油のせいでだんだん甘くなる」。

なるほど。

 

知らない人に馴れ馴れしい。エレベーターで知らない人に「カッコよろしいコートやな、どこの?なんぼしたん?」一緒にいるこっちがびっくりする。但しけなすことだけは言わない。関西人も(は)バカじゃないと思った。喫茶店でも馴れ馴れしい「ねえちゃん、レーコーもう1丁くれなはれ、ついでにおひやも。ちゃうねん、あつうてかなわんさかいな、知らんけど。あ、レーコーにフレッシュはいらんで」。通訳する人をつけてくれ。

「行けたら行く」と言われて、関西では当然行かない。関東では「行く気半々」。「考えとくわ」は関西では断り文句。関東では否定肯定半々、望みアリと思う。名古屋は関東寄り。

金のことを真っ先に聞く。「給料なんぼもろうとるん?」一切遠慮なし。

大学の学年を回生と数えるのが関西。年生と数えるのが関東。名古屋は年生。小中高は全国一律で年生。

ポリタンクは関東は青い

。関西は赤い。名古屋は両方ともある。

餅は関東は四角で関西は丸。名古屋は四角。

うなぎは、関東は背開き、蒸してから焼くからふっくら。関西は腹斬りで、切ったまま焼くからみずみずしい。名古屋では関西風。

マクドナルドは関東ではマック、関西ではマクド。名古屋ではマック。

だし汁は関東はかつお節で、関西は昆布。名古屋は煮干しの小さいやつ(いりこ・田作りの素)。

会話の中に、擬音がやたらに多い関西、ほとんど出て来ないのが関東。名古屋は関東風。「あの道をスーッとまっすぐ行ってな、どんつきにバチーンと突き当たると階段があるさかいにエッチラホッチラ上がってな、どんどん行くと右手にドーンと大きくてキラキラの建物がある、ピカピカの看板も出てる」もっと短く言えない?

米粒が唇についてることを指摘されて、「すみません、教えてくれてありがとう」と言うのが関東。「非常食」と言うのが関西。名古屋は関東風。

ズボンの社会の窓のことをジッパーと呼ぶのが関東。チャックと呼ぶのが関西。名古屋はチャック。最近は全国的にW/X/Yか?(英語の頭文字)。開いてた時「恥ずかしい」と思うのが関東。「換気」と言うのが関西。名古屋は関東風。

救急車の音を近くで聞いて「近所で何かあったのかなぁ」と心配するのが関東、「迎えが来たで」と何でも笑いに変えようとするのが関西。すぐに「ピィポーピィポー」と口真似するのが名古屋。

 

関西弁にも地域性があって、和歌山県寄りなら「これこうてえな(買ってくれ)」「なにしとんどわれぇ、はよいね!(何してる、早く去れ)」岡山県寄りなら「これやらかしたん自分やろがい(こうなったのもおまえのせいだ)」「吉良が住む三河は浅野樣のかたきじゃ、ぶった斬っちゃる、刀わい?(わい?)」京都なら「ゆっくりしときなはれ(早く帰れ)」「美味しゅうおす(普通の味)」

「不思議なお味どすなぁ(まずいぞ)」

葬式の献花は関東では花輪、関西では生花。名古屋は生花が9割。むしりとりは尾張の習慣。

通夜振る舞いも関東は一般参加しかも豪華、関西は限られた親族だけしかも質素。名古屋は関西風。

それのせいか関東では香典の相場が高い。だけど結婚式のご祝儀の相場は低い。名古屋は両方とも高い。

関東人は「いくら?」とは聞かない。関西人は「これなんぼ?まけてえな」が無意識に出る。名古屋は値段は聞かない。

関東人は店の行列に文句は言わない、帰ってから身内同士で「長い行列だったこと、ああくたびれた、プンプン丸」と言う。関西人は最初から並ばない。名古屋人は一言もなく黙って並ぶ。

定食の味噌汁は関東は白。関西も白。名古屋だけ赤。

おばちゃんの着る服にやたらラメが多いのが関東。やたら豹柄が多いのが関西。名古屋はちょっと関東風。

関東では朝食に納豆はほとんど必需品、ご飯や味噌汁にぶちこむ。味噌汁がなめこやめかぶでねばねばでも平気。関西では納豆は絶対出ない(この当時はそうだった、今はそうでもない)。名古屋ではほぼ出ない。

カレーの肉は、関東では豚、関西では牛。肉じゃがの肉は関東では豚、関西では牛。名古屋はかなり、とり。

おにぎりには関東は焼き海苔、関西は味付け海苔、名古屋は焼き海苔。

関東では喫茶店でおしぼりはない、関西もない、名古屋だけある。

みたらし団子は関東では炙らない、関西でも炙らない、名古屋だけ炙る。

自転車のことをチャリンコと言うのが関東。関西でもチャリンコ。名古屋だけケッタ。ちなみに岡崎もチャリンコ。岐阜はケッタ。

関東では混ぜご飯に呼び方を統一、かやくご飯を火薬ご飯と誤解された。「ご飯を食べようと思ったら爆発する?危ないな」名古屋では両方言う。

関東は、いなり寿司に三角はあり得ない、俵形。しかも中身は素っ気ない白飯の酢飯。関西は、いなり寿司に俵型はあり得ない、三角形。しかも中身はかやくご飯の酢飯。名古屋は俵形。

関東では「ひ」が「し」になる。マントヒヒがマント獅子に化けた。地元メーカーの東丸醤油が志賀閉まる醤油。自分の娘に「おい、しろこ」、白子?誰?

準備段階からわかってたことだけど、電源の周波数が違う。家電全部買い換え。今では50Hz60Hz兼用のものが多いけど、その当時はほぼ互換性なんてなかった。

逆に、最後までわからなかったことだけど、風呂に入る前に「湯船をお湯で埋めた」「湯船にお湯を張った」関西でも関東でもどっちもいう。名古屋では「埋める派」は皆無、「張る派」が多いような気がする。

小学校の教室清掃の時に「机を吊る」のは名古屋だけ。関東では「机を後ろに動かす」が多いみたいだけど、決まった言い方は特にないらしい。

 

逆に、東北地方は主に接尾語と助詞が壊れてる。例えば、へがさになる(東京さいぐだ)。はがばになる(おらばやる)。んだよがだになる(またもや、東京さいぐだ)。するべきがするべになる(おめえさんせんだくするべ?)。かきくけこががぎぐげごになる。しがす(梨は茄子)、ちがつ(幸子さんはさつ子さん)。日本語、破壊してるなぁ。よその言葉が混じってるんじゃない?(本気。私は日ユ同祖論者、ユはユダヤ。戦後まで青森に戸来へぶらい村というのがあった。冗談だとは思うけど、キリストの墓もそこにある)

 

このように、東日本と西日本の違いに直面したことは、今では懐かしい思い出です。だけどよくよく考えると、「価値観」や「その後の人生」に大きな影響があったと思います。人はさまざま、価値観は多様、自分がどっちでもあり得る。違いを認めて自分の中で消化する、これらをこの時に学びました。「おまえは見掛けによらずジェンダーレスに理解があるな」と時々言われることもそのひとつ。のちに私は転職するのですが、本社が大阪の会社でした、でも「関西人に抵抗がない」ばかりかむしろ好ましく思ってたのかもしれません。人生は何事も経験。これは、この時のことを言ってるのかもしれません。

 

今回もまたまた長くなりました。書き始めた時は「今回のブログは短めかなぁ」と思ってましたが、意に反する形で書きたくなることが次から次へと湧き出して来て、結局もの凄く長くなってしまいました。次回のテーマは「朧気(おぼろげ)な記憶はなぜ美しい」の予定です。今回のブログと似たような構想ですから、今から恐くてなりません。それではご機嫌よう、さようなら。