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長過ぎね?俺の随筆(その15)『ラジオ体操って何?』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。長かった冬も漸く(ようやく)終りが見えて来ましたね。まだまだ朝晩は冷え込むけど、それもきっともう少しです。元気を出して頑張りましょうね、お互いに。

前回は時事問題モドキのブログでした。時事問題ならば、おおっぴらに今話題のロシア軍のウクライナ侵攻のことが書きたかったです。今でさえそうです(実はこれを書いてる今日は雛祭りの日、今後の展開不明、思いっきり心配)。言いたいことがいっぱいあります、山ほどあります。ここで敢えて中国なんて、ピントはずれでどうもすみません😢⤵⤵。一言だけ言わせてください。ロシアのプーチンの狙いはよくわからないけど、プーチンの「ロシアにとってのリスク」の読みだけはあってたようです。アフガニスタン撤退直後のアメリカは選挙が近いので国内世論に流されてウクライナを助けに来ません、ロシア産天然ガスに依存が高いEU諸国(=NATO加盟国)もウクライナを助けに来ません。このあたりの読みは鋭かったです。だけどいつまでも「ロシア=プーチン」というわけではありません。だからといって、時が過ぎるのをただ待ってるわけにはいかないです。いつものようになぜかロシアだけが悪者ですが、ロシアにも正しい感覚の人はたくさんいて、そんな彼等が気の毒な面もあります。「プーチンは狂った、読み間違えた」と言われてますが(相手の過小評価と自軍の過大評価と世論からの集中砲火の読み間違え)、侵攻した理由を想像してみました。どさくさに紛れてソ連の復活を目論んだのでしょう。そしてNATOが嫌いなのでしょう。隣に居てほしくないのでしょう。その昔ナポレオンはモスクワを攻撃しました。でも、ロシアは今まで1度も、パリロンドンベルリンローマを攻撃したことがありません。攻められたことはあるのに、攻めたら批難、やり方がまずかったみたいです。ロシアがやったらパリから批難。一体ナポレオンは誰なんだ。踏んだり蹴ったりじゃない?ああ、かわいそ。

 

うだうだ言ってないで、ブログです。今回のテーマは「ラジオ体操って何?」です。

 

今回は、 ここのような障害者支援施設や、あちこちにある介護老人保健施設(略して老健)でも、とかくありがちな話題です。いわゆる「施設あるある」です。

食堂に入居者達が集まってみんなで一斉に朝食を食べる時に、しばしばバックグラウンドに流されてるピアノ曲「ラジオ体操」時間的に朝食時にはどんぴしゃですもんね。ラジオ体操の楽曲は皆さんご存知ですよね。我々「ほぼ老人」の世代にとっては(ほぼ?)、朝っぽい音楽といえばこれです。我々が毎朝聞かされてるラジオ体操です。聞かされてると言っても嫌な訳ではないけど、何と念入りに小鳥のさえずり声付きです。芸が細か過ぎてる、効果音としては少々匂いすぎかな?わざとらし過ぎてちょっと臭いな。まあ、少しでも朝らしく、の気持ちがあってのことなんでしょうか?こんなことで争いたくはないので、この際大目に見ておきましょう。最近のラジオ体操事情はよく知りませんが、まだ昔みたいにみんなが1ヵ所に集まってまだやってるんですかね?やってて欲しいなと思います。自分には、何の価値も何の名誉ももたらされないけど、何故だか嬉しいような気がするではありませんか。嬉しさの余り思わずあの「トシ取った証し」の代名詞を叫びそうになりました。「うん、ラジオ体操はいいもんだ。懐かしい。ああ、昔はよかった」。んっ?あれえ?昔を懐かしんで叫びたくなるのはわかるけど、その時の言葉は「昔はよかった」かな?何か言葉使いが違うな?ラジオ体操を聞いて「昔はよかった」?嬉しいなら「ラジオ体操を聞けて嬉しい」と素直に言うだけでいいのではないのか、良し悪しについて感想を述べる場合か?「昔のことが懐かしい、聞くことができて嬉しい」でしょう?

 

いいえ、「懐かしい」これではいけません、「昔はよかった」これでいいのです。ラジオ体操という昔の習慣がまだ続いてる、とわかったら、もちろん懐かしさはあるけど、自分のたどって来た道は正しかったのだ、なんて誇らしい気持ちになるではありませんか(これっぽっちで誇るのかい、という見方もあるけど)。その当時は「朝早くからラジオ体操かよ」と、嫌々だったくせにねぇ。

有線放送には確かラジオ体操専用チャンネルが複数あったと記憶してます。そうか、このピアノ曲が一日中流されてるんだなぁ。私はいつも食事介助を受けながら(介助おおきにね)、ただぼんやりとこう思います。

しかし、ただぼんやりと聞き流しているだけでは時間がもったいないです。いったい、誰に何を聞かせたいんですかね?そこで私はこのことについて、3つのことを思います。

1・「昔はよかった」

昔はよかったとは、今の人を否定してる訳ではありません。昔の自分を肯定したいだけのはずです。つまり、ラジオ体操の楽曲は「自己愛の確認」の曲なのです。

2・「あのかけ声では踊れない」

最近のテレビ番組(水曜日のダ○○タウン)でもやってたなあ、確かグチャグチャな踊りになったはず。「手足の運動」「肩を回して」「手を伸ばして深呼吸」そして「はい、いちにいさんしー、ごおろくしちはち」それを聞いて私はこう思います。それっぽっちで踊れるもんか!、と。ならば、あの掛け声は何のためにあるのか?と考えてみました。一番聞いて欲しいのは、いちにいさんし、の号令のところでしょう。あの掛け声は、ある程度動きかたをわかってる人に向かって掛けてるんだ、と思います。ラジオ体操は確か昭和初期の逓信省(後の郵政省)の作成。その目的は、全員参加の体力増強、みんな同じ動きをすることによる連帯感の誘発。だけどそれだけではないようにされてしまいました。いつの間にか「号令を掛けられることに慣れる訓練」に、すり替えられてしまったのです。そして「これは号令に慣れるよい訓練になる」と考え出したのは、何と陸軍の将校だったのです。もし、最初からそのつもりだったとしたら、それは残念で恐ろしいことです。大衆操作です。戦争に利用されてしまいました。最初はそんなつもりじゃなかった、と信じたいですが、何はともあれ、ラジオ体操とは「号令を掛けられて体をうごかす訓練」みたいなのです。

3・「もし、今の時代にラジオしかなくても、似たような掛け声をかけるのではないか」

昔の人も今の人も、もしも与えられた条件が同じなら、考えつくことは似たようなものではないかと思います。それが本質というものです。本質は、昔も今も不変です。そしてまず「あの威勢のよい掛け声」、これは昔も今も変わりません。

 

おっと、話しが逸れてしまいました。元に戻します。与えられた条件が「ラジオ」だけなら、昔の人でも今の人でも思いつくことは似たようなものだと思います。あんなにかわいいたおちゃんもゆりなちゃんも、一生懸命やってることはただ、今風のラジオ体操なのかもしれません。今はただそれをダンスと呼んでるだけかもしれません。

 

同じように、ラジオ体操の掛け声は昭和初期のラップだと思います。YoYoとは言いませんが、リズムに乗って言いたいことを言う。ラジオ体操の曲が生まれた時は、言いたいこと、いや、言うべきことが「いちにいさんしー、ごおろくしちはち」だっただけだと思います。本質を見抜いて初めて、見えて来ることがあると思います。

 

結論、ラジオ体操は、100年前のダンス。ラジオ体操の掛け声は100年前のラップです。

 

今回は初めて「狙って長文」にしてみました。でも何か中途半端でした。それに、思ったほど長文でもありませんね。説明文になるのを防いで、言外に匂わせて感情表現を増やす、しかしテーマはぶれない。いやぁ、難しかったです。最後までお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。自信がない時には、長文にしたがるものなんですね、初めて気が付きました。それではごきげんよう、さようなら。