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長過ぎね?俺の随筆(その23)『動くものを好む』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか。私は元気です。もうすっかり冬です。これからますます寒いんだろうな。あったり前かぁ。それでは今回もブログを書き進めようと思います。今回のテーマは「動くものを好む」です。

 

世の中の5~6才の子供、特に男の子に時々見られる性癖なのですが、小さい子供というものは往々にして動くものが大好きです。3才くらいになると、そういう特徴にまず両親が気付きます。子供が喜ぶから、と言ってそういうオモチャなどを買い与えます。買い与えるからますますこうした傾向が助長されます。かくいう私もそんな一人でした。成長して大人になってなお、趣味であり続ける人もたくさん存在します。かくいう私もそんな一人です。

 

私は子供の頃、鉄道の電車や機関車や道路を行き交う働く自動車(道路工事車や土木作業車、特にロードローラー)を眺めることが大好きでした。働く車を見続けるのも好きでしたが、やっぱり鉄道のほうが好きでした。今の言葉で言えば「鉄ちゃん」でしょうか。どういう種類の鉄ちゃんかというと、ズバリ「撮り鉄」でした(ゲームの桃電は乗り鉄だからストライクゾーンからビミョーにはずれ)。撮り鉄なんて今では敷地内不法侵入や線路内無断侵入など危険行為連発の輩(やから)としてテレビニュースを騒がせてますね。彼等による不法侵入などのマナーの低さは考えものです。でも、擁護するわけではないけど、昔は「線路内立入禁止」じゃなかったんですよ。現代の鉄ちゃんカワイソス。

 

どのような鉄ちゃんだったかというと、思い出話になりますがまあお聞きください。

幼稚園の頃は、家から歩いて50分かかる国鉄(今のJR東海)熱田駅まで、毎週日曜日に晴れていると母親同伴の上弁当持参で、連れてってもらいました。一人っ子だったからこそやれたことです。駅だからトイレもありますしね。どこの遊園地に行くより楽しめる出来事でした。親も金がかからないと言ってほっとした様子でした。その頃はまだ宅配便がなくて荷物といえば国鉄貨物。あちこちの駅で貨物取扱いがあって、各駅構内で貨車入換をしなくてはならなかったのです。この入換作業のために使われる蒸気機関車を一日中見てることが楽しみでした。蒸気機関車はギリで現役を知ってます。全廃の時中2でした。目線の先にはCー11タンク式蒸気機関車がありました。ついでに通りがかった列車も楽しみました。その当時はまだ電車は鉄ちゃん逹の目的ではありませんでしたが見るのと撮るのは別です。充分に楽しめました。名鉄なら800系(橫から見ると先頭車だけしゃくれたあご)とか、3700系(戦前製造、床と壁は木で当時は珍しいロングシート、付いたあだ名は囚人電車、他の車両は赤なのにこれだけ暗い緑)とか、5500系(日本初の冷房車なのになぜか窓が開く)とか7000系(初代パノラマカー、鳴らしまくりのメロディホーンは「どけよどけよ殺すぞー」さすがにヤバいと思ったのか「どけよどけよどけどけー」と教わってた)、国鉄なら湘南電車(橙と緑のツートゥーンカラー)の115系とか、2ドアで明らかに長距離仕様の165系(これも橙と緑)、今となっては懐かしい電車ばかりです。名鉄神宮前駅に隣接する御田陸橋(みたりっきょう)から国鉄も名鉄も入換作業も一望できました。その時見えた景色は60年経った今でもなお忘れられません。

 

小学4年の頃、三重県桑名市まで行って国鉄関西本線の蒸気機関車さよなら運転にC-57テンダー式蒸気機関車を撮影しに行きました。人は少なかったです。子供だからといって特別に運転席にまで乗せてくれました。 この頃はもう乗り換え乗り継ぎもお手のものでした。

 

中1の頃長野県木曽福島まで行って、Cー56テンダー式蒸気機関車のお別れ運転を撮影しに行きました。蒸気機関車とは本当のお別れでした。

 

高校生の頃、長野県伊那市や東京都青梅市まで行って、廃車間近のED-11というアメリカ・ゼネラルエレクトリック社(エジソン設立)製の小型電気機関車を撮影しに行きました。栃木県宇都宮市まで一人で行って廃車間近の

EFー57という最後の国産のデッキ型電気機関車を撮影しに行きました。

 

それ以降はもう1つの趣味である「ギター」に集中するために鉄ちゃんはやめてしまいました。ギターをやめた26才の頃少しだけ復活しましたが、昔ほどの熱量はもうありませんでした。

 

私が鉄ちゃんだと、いつどこでなぜ誰が気が付いたかというと、この施設の清掃人の○藤○ょういちさんが私の居室の清掃に訪れた時です。その当時私は、居室のテレビの前に、Nゲージ(線路幅のこと)の105系という電車2輛のプラモデルを飾って楽しんでました。私の趣味を熟知している元勤務先の後輩がプレゼントしてくれたものでした。これを見た○ょういちさんは即座に「こいつは鉄ちゃんだ」と見抜きました。私も、見抜かれるとは思いませんでした。この施設の人には一人もばれないだろうと思ってました。「鉄ちゃんvs.鉄ちゃんじゃない人」の戦いは 「知ってるから羨ましいだろうvs.知らないけどそれがどうした」の戦いの象徴だと思います。殆どの人は、先程から散見されるようになった機関車の型式名を聞いて「今ひとつわからんなぁ。それを知ってて何か得することでもあるというのか、別に知らなくてもいいんじゃない?気持ちわるっ」などと思ったはずです。

一方、鉄ちゃんと呼ばれる人は「型式名なんて知ってて当たり前、例示したものがさすがに古いなぁ。CとかDとかFとかが動輪の数、その前に何も付かないのが蒸気機関車、先頭にEが付くのが電気機関車、ちなみに先頭にDが付くのがディーゼル機関車。どうだ、よく知ってるだろう?」と思ったはずです。完全に乖離が生じてます。その記憶力、他で生かせよ、などと思いますよね。

ちょっと話しが逸れますが(こういうことをするから長文になる)、この施設で生きてても「知ってるけどそれがどうした?何の役にも立たんじゃないか」ということはたくさんあります。

1・「配膳車」。食堂のピンク色の配膳車、あれはたぶん星崎電機(業界では結構有名・本社愛知県豊明市、行ったことあります)という会社の製造です。星崎というと、回らない寿司屋のネタケースやコンビニのショウケースのトップメーカー、配膳車のシェアはトップじゃないけど、あのごつい取っ手の形状は、決してトップメーカーのエレクタ(確か取っ手は半円)ではなく、星崎に違いありません。配膳車は他には、マルゼンなどで作ってます。昔、ナブテスコ垂井工場でも大量に作りかけの姿を見ました。ナブテスコは元帝人精機、帝人精機の親会社はテイジン、テイジンは元帝国人絹(ていこくじんけん)。合成繊維メーカーです。これで商売してるとは聞いたことありません。どこかの下請け?配膳車はどのメーカーでも全て同じピンク色です。正確には「サクラカラー」どうして同じピンクなのかわかりません。工業製品では他には色が同じだなんて聞いたことありません。何でも「他の色では圧迫感」があるとかないとか、はっきり言ってクレーマーの仕業じゃん。知っててもそれがどうした?

2・「あの曲」。毎朝食堂で流れるラジオ、ほとんどはMID FMだけど、8時の時報の5分前に流れるサウンドロゴじゃなくてジングル。これでAM7:55とわかります。FM愛知やJIP FMはそれなりに裕福だから専用曲です。だけど貧乏な局は既製曲の流用。私の記憶によると、あれは電気グルーヴのシャングリ・ラという曲のイントロとサビの部分のカラオケです。転調は原曲にないけど、もしかしてBGM用に再録音かな。知っててもそれがどうした?

別に私が「配膳車マニア」というわけではありません。だけど私は、こうした「知ってても何の役にも立たない雑学」を大切にしたいと思っています、人生が豊かになったような気がするではありませんか?(ホントは「俺しか知らない」という優越感に浸りたいだけだったりして)

 

本題にもどりましょう。

105系が2輛ある理由は型式名の違いです。1輛はクハ-105、もう1輛はクモハ-105なのです。クモハのハとは二等車のこと、今でいう普通車のことです。ちなみにロが一等車、今でいうグリーン車。イが御料車、今でいう皇族専用車です。イロハです。クモハのクとは運転台ありの意味。先頭車か最後尾です。モとは床下に電動機(モーターのモ)付きの意味。それとともに屋根上に集電機ありの場合も、つまりパンタグラフありかもしれない(最近は集電機能向上と摩擦の問題でパンタグラフ数減少気味だから付けられてないことも)、ということです。ちなみに105系発表時はパンタグラフの形状は菱形。シングルアームは専ら路面電車のみ、だから屋根上に菱形パンタグラフあり。最近は吊り掛け式電動機がようやく絶滅してカルダン駆動のモーターのみとなり、床下がすっかすかのモがなくなりましたが、この当時はまだ「モのわりに床下がすっかすか」の電車ばかりでした。さらにインバーターも最近ではVVVF式が主流になって、床下はぎっしりです。これらは全て静音化対策のためです。走り出す時、昔は「ブァーン、グググブァーン」今は「ヒュー、ヒュー、ヒュー」

如何ですか?これが鉄ちゃんの片鱗でした。気持ち悪かったですか?普通の人と鉄ちゃんは住む世界が違うのです。相容れません。

 

人はなぜ動くものを好むのでしょうか?なぜ、動くものを目で追うのでしょうか?狩猟本能というのはもちろんだけど、それだけでは無さそうです。だけど本能的です。暗闇で光りに近づきたくなるという、まるでチョウチンアンコウの補食行動に見舞われたように、動くもの光るものに吸い寄せられます。飛び込んだら「危険が危ない、命が死ぬ」とはわかっているけど、それでも近づきたくなるのはなぜでしょう?好むというくらいだから、嬉しいんでしょう。「おっ、食い物がある」という喜びなのかもしれません。「あっ、俺を喰うやつだ」と思ったら、嬉しくはないはずです。だけど人は例えまだ子供であったとしても「こいつは俺を喰わないに違いない、そう思って見ると何て大きくて力強そうなんだ、カッコいいな、憧れるな」このように考えていると思います。「目に映るものに動きがある」の喜びだと思うのです。静寂な環境で育てられてるせいではないのでしょうか。ただしこれはあくまでも私見ですので、あるいは間違ってるかもしれません。

 

今回も長文でした。結論断言してませんね。楽しんでいただけましたでしょうか?次回のブログは「全自動餅つき機の正体」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。