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長過ぎね?俺の随筆(その41)『1年はなぜ短くなるのか』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。今日も健康にお過ごしでしょうか?私は相変わらずです。どこにも不調ヵ所はありません。健康です。だけど、五体満足にあらざるこの体の事を「健康です」と言えるかどうかには、少しだけど語弊があるような気がします。・・・ああ、うだうだ言うのがまた始まってしまった。
あれやこれや言ってないで、それでは今回もブログを書き進めさせていただきます。今回のテーマは「1年はなぜ短くなるのか」です。

会社員だった私は、週末の仕事帰りにはよく上司に連れ添うように(忖度じゃないつもり)、会社の近くの居酒屋に、一杯(いじゃなくてぱにアクセント)飲みに行きました。上司と一緒が多かったかな?部下や同僚たちは酒を飲まない(飲めない)人が多かった。

酒席では、誰でもどこでも似たようなものだと思うのですが、他愛のないよもやま話し、しょうもない経験談、端から(はたから)聞くと滑稽な自慢話がただ延々と繰り返されます(そして終電)。そんな酒席で私を含めたみんなが熱く語ったことです。「なぜおっさんになると、1年は短くなるんだろう?」。
困ったことに、これが「年を追う度にだんだん短く」なるのです。

一緒に飲んでるみんながみんな「そうだ!俺もそう思う」。これがかの有名な同調圧力?

聞くところによると、神樣と言う方(やつ、と読む)は、いつでもどこにいてでもすべからく平等だ、との噂。もしかして平等であらせられる(いらっしゃる)としたら「私を信じなさい。信じる者は救われる。せっかく優しく案内してやってるのに、私のことを信じられないとでも言うのか?信じてくれない褒美(ばつ、と読む)として、汝の1年を365日・364日・363日・362日と、だんだん短くして進ぜよう」とは、おっしゃらないだろう、とのことです。そりゃそうだ、物理的にはそう。

だけど、年々「1年が短くなりつつある」と感じてしまうのはなぜなのでしょうか?人間というものは、考えることは年代を追うごとに進化して行くものだと思います。幼い頃は食べ物の話しや排泄物(う◯ち)の話し、学生の頃は気になる女の子(異性)の話しや勉強させられるのはなぜ?とかいう話し、若者の頃なら人生に対する問いや社会に対する問い、中年になったら財産形成に対する問いや環境に対する問い。そして現在の私が如く老年に及ぶと、再び若者時代に戻って、あの時より基本的な疑問を懐いて(いだいて)しまうのです。そして湧き出して来てしまった疑問が「1年はなぜ短くなる?」です。なおご参考までに申し上げますが、私はまだ、老年の次の壮年の域には未到達ですので、もし自分が壮年になった時にどういったことを考えるかが想像できません。

「いくつになったらそのように思うか?」なんてについての具体的年齢とは、それこそが「個人差」です。30才でやっとそう思うやつも居れば、20才でもなれば、最早そう思うやつも居るということです。

私は足りない頭で短くなる理由を考えました。そして、5年掛けて私がたどり着いた結論は
「時間経過相対論(自ら命名した)」でした。一応説明します。とてもいびつな気がします(気がします?)。「全然違う」とまでは言わないけれど(言わない?)、99%ぐらい違ってました(やっぱり)。優しい言い方をすれば「そうとも言えるしそうじゃないとも言える、そうじゃないに傾いてるけど」、きつい言い方をすれば「甚だ(はなはだ)見当違い、ちゃんちゃら可笑しい」ものでした。

5才児にとっての1年は、彼の人生における5分の1。
20才の若者にとっての1年は、彼の人生における20分の1。
50才のおっさんにとっての1年は、彼の人生における50分の1。
だんだん短くなる。このため、1年がだんだん短く感じられるのだ。

如何ですか?それっぽいでしょう?でも私の時間経過相対論は、1%ぐらいしか合ってませんでした。その筋のプロ(そんなプロがいるんだ)の話しによると、それは「経験量やインパクトの差」だそうです。
3才児にとっての物事の体験の多くは、おそらく彼の人生における初めての経験。インパクト絶大です。そんなことの連続の毎日。
だけど、20才の彼にとってのその経験は、おそらく彼にとっての2~3回目の出来事。その分インパクトも減る。
50才の彼にとってのその経験は、おそらく彼にとっての20回~30回目の出来事。その分インパクトもほとんど無い。だから、インパクトの量の問題によって1年を短く感じる。

うーん、納得。そんなふうに考えるんだ。

だからこそ、オバチャンは総じて旅行好きなのか?旅行は、新しい出会いそのものだもんな。おじちゃんなら、そうでもないけど。男より女のほうが「時間が短くなる」ことに対して過敏?老けて見られたくない?少しでも先送りしたい?初めての出逢いに興味があるから憧れるのです。「わぁーオイシー!。こんなスイーツ初めて食べた、おいしいね、来た甲斐あった。旅行先だから甘い物食べても罪悪感ゼロ」。甘いとの出逢いか?お望み通りのインパクト。気持ちいいんだろうな。天にも昇る気分だろうな。だけどなぜ旅先だと罪悪感ゼロなの?関係ないじゃん。そうか!ただ旅したいだけなんだ。・・・やっと腑に落ちました。その点、男にとっては、年齢なんてどうでもいいもんな。

目新しいものを好む、とは、過ぎ行く1年を短く感じたくない。年齢を重ねるのは、例え気のせいであってもできる限りゆっくり進んでもらいたい、ということだったのです。ゆっくり、ね。俺は違う、かな?

居酒屋にて、上司の人と交わした会話が今でもなお思い出されます。
「今年も1年があっという間だったなぁ」
「よかったですね。おめでとうございます」
「えっ!めでたいもんですか?死活問題に等しいじゃないですか?。そのうち0になっちゃったら、どうしてくれるんですか?」

私より上司のほうがほとんどのシチュエーションにおいて年下だったのです。だから上司と言えども私に対して丁寧語です。

私はこう思いました。「0になったら死ぬだけさ。凄く時間はかかるけど」。だけど黙ってました。今、告げます。

今回のブログはこれで終わりです。実は私の操作ミスによって、掲載直前に、全て消去してしまいました。一瞬「どうなることか」と思いました。急いで2日間で書き上げました。だから今回はわりと短めです。・・・えっ、相変わらず長い?はあ、すみません。次回は「案外理に叶ったイスラム教」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。