こんにちは。お元気ですか。私はまあまあ元気です。この「長過ぎね?俺の随筆」も、毎月1回のところを、今回が第60回です。ということはこのブログも5周年!うわー!本当に⁉感無量です。1年もつことが最初の目標だったので、「まさかの5年」の思いです。管理人樣そして読んで下さってる皆々様(居るのかなぁ)、どうもありがとうございます。私は一人勝手に感慨に浸ってます。これまでに私は、読み手である皆様の記憶に残るブログを書けたかな?「今が文章力のピークだ」の実感は残念ながらおおいにありますけど、それでも尚許される限りは、命ある限りこんな拙い(つたない)ブログを書いて行きたい、と思います(「許される限り」だし「命あらば」ではあるけど)。今後もどうぞ宜しくお願いします。今回のブログのテーマは、久方ぶりの時事問題の「外国人問題と貧富二極化とで右傾化」です。取っ付きにくいなぁ、などとお思いでしょうが、頑張って出来るだけ平たく書くようにしたいと思います。
新年ではないけど再来月4月に新年度を迎えたら、編成済み予算案実行のニュースなどに触れる機会なんかが増えて、ますます「世の中の動向」が気になりますね。そこで今回は、憚りながら(はばかりながら)人生経験たっぷり溢れる後期高齢者代表みたいな私の目には「今の世の中がどのように見えているのか」の一端をご紹介します。紹介するにあたって、これが肝心なのですが、「個人的見解は出来るだけ避けて、その考え方だけを紹介する」ようにしたいと思います。あくまでも一般的な「考え方」のご紹介であって、私個人の「考え」ではありません。例えば「右翼的思想それとも左翼的思想」など、私の思いや願いに反して、もしかしたら片寄った個人的な思想が見え隠れしてしまうかも知れませんが(たぶんする)、少なくとも気持ちだけはフラットなつもりです。自分の思想抜きで概念だけ説明するのはかなり困難だと思うのですが、このブログぐらいしかこういう機会はないのです。恐いもの知らずを自称するこの私ですが、尚も勇気をふりしぼって(こういう勇気のことを「蛮勇」と言うのさ)書いてみようと思います。
人々にとって、一昔前には唯一無二の情報源として当たり前だった『新聞とテレビ』(二つあるから唯二無三かな)。新聞やテレビが「オールドメディア」とも揶揄される昨今だけど、私にはテレビを見ることしかできません。障がい者であるがゆえ新聞はめくることができないし、ネットニュースなど目新しいものには、年寄りであるがゆえ操作が面倒で取っつきにくいのです(本当にそんなもん)。だから「テレビだけ」です。
今日もテレビニュースは中国関係のこと。関係悪化なんて、毎日毎日盛んにやってます。「もし今後、台湾に於いて台湾を守ろうとする米軍が中国から武力攻撃された時(これが台湾有事)、このことを『アメリカと仲よし(日本側の片思いで、上っ面だけの仲間だけど)の日本が攻撃されるかも知れない』と見なして、戦争はしないと憲法で明記されてるはずの自衛隊(世界的には事実上軍隊)が中国を先制攻撃しても良い(これが集団的自衛権)、という高市総理の発言に対して、おおいにかつ超絶に異義あり、と中国が噛みついて来るからかなり困惑してる」、というニュースです。「台湾有事」や「存立危機」などの小難しい言葉の意味を重々理解してなくてはならないのですが、ただ徒(いたずら)に「難しそうだなぁ」とハードルを上げる必要はありません(このブログさえ読めばわかる?オイ、自惚れ度合いが過ぎないかい?)。中国が軍隊でもって武力攻撃?台北に向かって戦艦から大砲でもぶっ放すの?それに対して日本に交戦権あり?台湾にとってはさぞかし心強いんじゃないか?自衛隊が毎日派手に訓練してるのはこのためなの?中国が着々と軍事力増強(かなりのもん、日本の10倍)してるのはこのためなの?二国ともお互いに戦争する気?確かに物騒です。
このことに対する中国側の噛みつき方が尋常じゃありません。中国が日本に対しての「『内政干渉への謝罪要求』(内政?存立危機と言っただけじゃん。台湾は中国の領土と思ってるの?…領土と思ってるみたいです。台湾は止むに止まれず国家としては非公認だけど、非公認は誰の圧力?平和バランスのためには仕方なかったけど、そんな台湾について内政干渉?ウーン、マジかぁ)と、『発言過激化』(これは軍国主義の復活だ、という対外宣伝活発化)の報道」、聞く度に「またやってらぁ」と思います。尖閣諸島周辺の領海侵犯に南鳥島周辺の領空侵犯。あのお国のあのお国柄にはほとほとうんざりします。辟易(へきえき)とします。捏造動画の大量流布。法律面が未整備なんだなぁ?著作権に続いて、またまたか?このお陰で、中国と日本の地方自治体同士の交流会取消し。日本製作映画の上映中止や日本人アーティストのコンサートの無期限延期(チャイナリスク承知の上で企画したんじゃなかったの?)や、日本国内の観光地のホテル予約キャンセルの続発とホテル支配人の困惑ぶりの強調(所詮他人の金儲けだから勝手に困ってくれ、と俺は思うけど)。更に中国国内の街頭インタビューで当たり前のように繰り広げられる反日意見と(場所が場所だから反日当然)、中国国内のSNSによる高市総理への似顔絵付き批判(公認同然だからおっかない)に、それらが果てしなく拡散してるという懸念を報道。このニュース、編集のしかたによっては、あたかも「日本が悪者で相手国が正しい」というふうに見えてしまいます。逆に「日本が絶対正義で相手国が悪者」なんてやられたら、逆は逆でこれまた恐いけど。でも、この報道のし方に驚愕してしまいます。あんたのほうが、戦艦から大砲をぶっ放さなきゃいいだけじゃん。こっちから手だしすることはない、そうする理由がない。しかし、相手国はいつも尖閣諸島周辺をうろうろ。尖閣諸島は確かに台湾から近いけど、今更台湾?何で中国が出て来たの?ああ、「台湾は中国の領土」という中国の一方的な話しか?当然、台湾には未許可だな?台湾は俺たちを「敵だ」とは思ってないはず。それとも、中国の常套手段の「自分勝手な線引き」炸裂か?「こっからこっちは俺のもん」。ジャイアンか?だったら波照間島は?石垣島は?宮古島は?沖縄本島は?無茶苦茶印象悪いぞ。
この件についてテレビの報道担当マンたちは相当に迷ったと思います、「マスコミの使命とは何だ?権力に寄り添うことか?いや違う。それではあまりにも報道の自由がない。ううむ、違うのか?そうか、違うか。ならば反目するしかない。反目しようそうしよう」。よって「関係悪化」一辺倒。
確かに関係悪化だけど、それは一方的な悪化。悪化だと聞かされた人々の思いや如何に。国際会議の場で、中国首相に会って貰えるか話しかけることができるか握手して貰えるか、なんて聞かされたら、気持ちが沈みます。
領空侵犯されるかも知れないとスクランブル発進した日本の戦闘機が中国の戦闘機からレーダー照射でロックオンされて、現場では大騒ぎだっただろうけど、それでも我慢することがベストなの?黙ってると、嵩(かさ)にかかってまた来ない?貞子みたいにきっと来る。ますます気持ちが沈みます。
一歩下がって冷静に考えると、我々の総理大臣は概ね間違ったことは言ってないような気がします。「おともだちがイジメられたら仕返ししてやる」。幼稚園児でもそうします。ただ、タイミングも悪かった上、言い回し方も思慮不足だったけど。
この中国の激烈な反論に対する日本の外務省の方針は「基本的には無視、言わせとけ。我々は無駄にヒートアップしない。だけど、否定するべきところは否定する。ほとぼりが冷めるのを待つ」になってると思います。その証拠に「中国の習首席が、怒り捲って(いかりまくって)トランプ米大統領に電話して来たから、米中関係を考慮した上でトランプ米大統領から日本の高市総理には、やたらめったら刺激するような発言は控えろ、と電話した」。わざわざ電話する、これはあり得ることだと思います。それを伝えるニュアンスは国によって違うけど、概ねこのようなものだったと思います。これに対しても基本的にはシカト。まぁ、そうするより仕方ないと思います。
あの日あの時、国会の予算委員会であんな質問をやってのけたやつは誰?(実はたまたま知ってる、確かりっけ◯党の三重選出の党内では偉い人、明らかに誘導尋問だった)。大衆の面前であの聞き方をするなんて、我々が悪者なの?何が「国益を損なう」だ?損なってるのは君のほう(国会議事堂では議員のことをくん付けで呼ぶ)。中国首相に会わなきゃならないの?これはお願いすること?会って謝罪るの?我々はあなたのおっしゃるように軍国主義を復活しませんとか言って、両手をついて謝るの?
私には、百貨店のおもちゃ売場の床に寝っ転がって駄々を捏ねる4才の子供の絵が思い浮かびました。中国は駄々っ子じゃん。外交手段がそれなの?こっちが慌てれば慌てるほど相手の思うつぼ。恐喝外交か?専門用語でこれを「戦狼外交(せんろうがいこう)」と言うそうです。皮肉なことにも中国語由来だそうです。中国としては、戦争したら勝てる自信があるんだろうな。そして、せいぜい戦争にまではならないだろうと、たかをくくってるんだろうな。少しも恐くないわ(アナ雪のエルサ?)。ならば脅すのが良い。海産物の輸入禁止で揺するのが良い。レアアースの輸出禁止で途方に暮れさせたら良い。追い打ちでパンダ引きあげそして大騒ぎ、これが一番効いたなぁ。同時期にフランスや韓国には追加して貸与。あんな猫熊をなぜか、世界中で欲しがるからな。外交手段として、使えるものは使ってやる。ワシントン条約樣樣だい。困るのは日本のほうだ。日本も日本です。日本としては、戦争したら勝てないと思ってるんだろうな。そして、戦争なんかにならないことを願ってるんだろうな(口約束だけのアメリカ頼りで)。今、私たちがやるべきことは「対抗手段の増強」だけなのです(戦備強化を粛々と)。
このやり方が、全うな外交手段なの?いちいち相手にしてられない、と思います。だけどテレビのニュースは来る日も来る日もあんなトーン。マスコミさんよ、あんたは一体どっちの味方?ああ、そうか、いつでもいつもマスコミは権力に批判的でなくてはならない。二つの意見があるなら、二案とも平等に扱わなくてはならない。このあたりが、オールドメディアの限界なのか。だけどSNSなどの片寄ったニュースだけ聞いてると、SNSのほうが間違ってたら困つちゃう。俺も「盲信してる輩(やから)の暴走マニアの一人」?仕方ない。斜めに聞いてよう。
今回の中国騒動のもともとの引き金を私は「中国人にありがちの『面子重視(めんつじゅうし)』のせい」だと思います。中国の習首席と握手した翌日に、台湾の藾総統と会った。これで中国の面子丸潰れ。中国は春秋戦国の昔からことさら面子を重んじるお国柄なのです。彼らから見ると「恥をかかされた」、我々から見ると「はあ?俺、何かした?」。そして、あの発言で火薬に着火、大爆発です。元々気に喰わなかった保守派の高市総理。石破さんならいい(自民党で最も左寄り)けど、岸田は安部よりまだマシだけど、左寄りの中国としては、右寄りの麻生と安部は許せない。それの最たるものが高市。絶対に認められない。それ今だ!イケイケ!やっちまえ!
日本人には、誰が右寄りかなんて気がつきませんよね?面子なんて概念はわかりませんよね?これが「文化の違い」なのです。沈静化するのに4~5年はかかるな。今まで面々と書き連ねて来たことが、今回のテーマの一つの「外国人問題(インバウンド問題)」の事例です。インバウンド増加を目指すとは、たしか政府が立てた政策。民泊が許されるようになりました。「なあんだ!政府のせいか」とは言えません。短い目で見ても長い目で見ても、困るのは私のほう。普通なら、もっと個人的なこと、例えば「ゴミのポイ捨てや敷地内無断立ち入りや夜中に大騒ぎなどのマナーの低さ」について具体的に書きたかったのですが、あまりにも生々しいし(「来るな」と言いそう、言ったらおしまい)、あちこちに差し障りがありそうだから、敢えて「国単位」の問題に触れてみました。私が今まで出会った外国人たちは皆優しかったです。立派な人格者ばかりです。彼らのことは大好きだし、非常識にはとても見えない、適度に遠慮もある。個人単位では好きです。「外国人」じゃなくて「内国人」と呼ぶべきかな。私達個人個人をリスペクトしてくれてます。見習いたいと言ってくれます。だけど、国単位では違うのです。好きじゃない、大◯ら◯なのです。
お話しは一転しますが、この世に生きる「人間」というものを二種類に分けようとする時に、一際際立つ(ひときわきわだつ)分け方とは、例えばそれは「貧富の差」だと思います。お金を持ってる持ってないで分けるのです。
一つ目としての「貧」。普通は「貧」であることが一般大衆として当たり前だけど、ごく希に二つ目のに「富」の人も確かにいます。「物々交換」ではなく「貨幣を用いた経済」の世の中ならば、資本主義下の現代に於いてさえ(於いてこそ)今も尚存在します。貴族階級の人ならいざ知らず、お金なんて多くの人は持ってないのが普通です。しかし厄介なことに「持ってない人々」のうちでも、「本当に持ってない人」と「そこそこにはあるけど黙ってる人」がいるのです。
その他に二分割の手段を挙げるとしたら、男か女か(LGBTなど、悪くないけど時々中間もいる)、皮膚が白いか黒いか(俺がそうだけど時々中間もいる)、物事を決める時思慮深いかひらめき重視か(悪くはないけど時々中間もいる)、すぐ笑う人か笑わない男(時々笑わない女もいる、女はやっぱり笑ってたほうが良いな)か、怒りっぽいか温厚かなど、思うところはいっぱいあるけど、一番オーソドックスなものが「可処分所得が大きいかミニマムか」だと思います。生きて行く上で「自由に使えるお金」はとっても大事だと思います。その昔そんなCMもあったなぁ、「♪良ーく考えよう」とか言って、お金について熟考することを薦められたっけ、無い袖は振れんとテレビに向かってわめいたもんだなぁ、と思い出します。お金は人の種類を分けるのです。
「貧しい人」なんて呼ばれたほうは、心の中では「貧乏」じゃなくて「慎ましい暮らしを実践してる人」と呼んでほしいんだろうけど、冷静に見ればまさしく「貧乏人」です(俺を含む)。
甘いシュークリームなんかを思わず買ってしまって、いつの間にかその手の中にあるけど、高価なブランド米には中々手が出ない、出せない。ちっとは安いからあるなら古米でいいや。格安で買えるというなら古古古米でもいいや。
美味しそうな惣菜パンには高くても迷わず手が伸びるけど(おやつのつもり、デブのもと)、晩めしのおかずに鯛の刺身と思っても中々手が出ない。輸入マグロの中落ちでいいや。何なら「魚介類なんて今日である必要はない」とか言って、いつでも安売りで、食ったらパッサパサの「とりのむね肉」を買ったりします(今日から俺もボディービルダー?)。
ティッシュペーパーも「1円でも安いやつ」を選びます。1個売の柔らかそうな「鼻に優しいティッシュ」の箱には手が伸びず、いつも5連1パック。クリネックスやエリエールは普段から比較的高いから、購入するのはいつもエルモアやプライベートブランドのティッシュ。時々買うのは特売品のネピア(ネピアだけは特売をたまにやる)。ティッシュなんてどこでも同じさ。…確かに似たようなもの、慎ましいでしょう。しかし、やむにやまれぬ慎ましさ。高価なものの品質は「いつでも普通かそれ以上」だけど、安価なものには「時々出来損ない」が混入するのです。貧乏な人は貧乏であるがゆえ、安価なものしか買えない。それゆえ、知りうる限りの理屈を並べて見せる。これを「貧乏人根性」と呼ぶのです。
またまた話しは換わって、昭和30~40年の世相は「やっぱり今と同じく『金持ち』は一握りだけど、貧乏人もそれなりに別れてて『中産階級』と『下層階級』と『◯らく民』が存在」しました。◯らくなんて、思わず積極的かつ自主的な伏せ字をしたくなるくらいの差別用語。令和の今では禁句過ぎて死語です(若者には通じない)。しかもその上、差別にあり勝ちの心境の「良かったぁ。俺はあれほど低くない。えっへん。俺様は偉い」なんて思います。まだマシがいつの間にか当然のように自分を相対的に高く見てしまっているのです(大丈夫か?俺?)。そこそこに収入もあるし、暮らしぶりも他所様(よそさま)に遜色ない。被差別地域の生まれでもない。今は使いませんが「同和問題」という言葉をご存じですか?日本特有の差別だそうです(特有でもないと思う)。あんな町の出身者は雇用してはならない、結婚してはならない。昭和30年代までそんな空気がありました。その一方それと無関係な人は、私もあこがれの中産階級になることができた、と勘違いしてしまいます。「私もなることができた?」。ホントかどうかは別として、「一億・総・中産階級化」などと言われたものです。
今にして思えば、あの頃はみんながみんな幸せでした。今にして思えば「知らぬが故の幸せ」なのですが。中産階級に成り上がることができたと。
だけどやがて気がつきます。やっぱり貧乏と。経済は停滞して収入は増えない。値上げは進み暮らしぶりはいつまで経っても相変わらず。所詮金持ちとは根本的に人種が違う、考え方が違う、発想が違う。
そう気がついた挙げ句の果てに「こうなったのは誰のせいだ」なんて犯人探します。そして出した結論は、「やっぱり世の中のせいだ。世の中が間違ってる」。きわめてお手軽な答えにたどり着きます。誰にでも思いつきそうな答えです。そして自分だけが、いや、自分こそが「富」になりたいと願います。これが「個人主義化」です。俺じゃなくて世の中のほうが間違ってる、他の人なんていなくなれ。誰もが自分だけを保護するために(幸せになるために)がんばります。社会全体が幸せになるのではなく、各個人が各々「自分が幸せになる」ために頑張る。他の人が幸せになろうがなるまいが知らない、関係ない(さすがに「不幸になれ」とまでは言わない、思ってるけど言わない)。社会統治ではなく昔ながらの主君の君臨、あの王様の下で頑張ろう。王様も「自分だけが幸せになる」ために、この地を征服しにやってきたはず。このようにして「右傾化」します。
ずいぶん前に掲げたテーマに戻りますが、この世に生きる人間を二つに分ける方法の一つとして、考え方が右翼か左翼か、という分け方もあると思います。右翼左翼なんて、わかりにくい言葉ですね。通説によると、右翼とはすなわち、現状維持・体制変化なし・保守的・自分中心、一言で言うと「保守派」。左翼とはすなわち、自由・平等・人権重視・改革・先進的(えっ?先進的?そうかなぁ?右翼左翼なんてもう既にない、という考え方もあるのに)、一言で言うと「革新派」。様々な見解があります。資本主義から社会主義が生まれて、やがて共産主義へと進化。先進的だともてはやされて、誰もが「理想の社会」を夢見てる。つまり、昔のことだけど、一時的ではあるけど世の中が「一瞬ではあるが左傾化した瞬間があった」と思います。地域や場所にも依りますが。例えば大学。一昔前には学生運動なんかで盛り上がってましたね。私が教えられたのは「マル経」つまりマルクス経済学です。大学こそ先進的でなくてはならない。資本主義を否定して、社会主義を称賛する。学生側はもちろん、大学側にもそんな雰囲気がありました。しかし今は「マル経」なんてありません。
しかし、やがて気がつきます。労働量も報酬も均等、固定資産は全て国有、生産物は国指定の1種類、計画経済でみんな檻の中、というのはだめでした。人間は「人事の上下」や「お金持ちになるための目標目的」がないと頑張れなかったのです。つまり「労働の質」です。無視することはできませんでした。人間の「損得という名の欲望」を軽視し過ぎだったと思います。
もし私の記憶が正しければ(この言い回し、鉄人をパクった?)、その昔確かフランスで市民革命が起きて、最初の市民間議員出席の議会が開催された時、演壇から見て右手に保守派・左手に改革派・真ん中に中道が座ったことに由来する、と教わりました。保守派と改革派を隣り合わせに座らせるとたちまち取っ組み合いの喧嘩が始まったそうです。王制復古賛同派が一番右。改革派たちのターゲットにされたそうです。「議院は殴りあいの場所」という噂がたつのを恐れて、のことだったそうです。今、右翼左翼を論じるのであれば、私個人の見解によると、左翼とは庶民主体で全員が一緒に幸せになろうとする動きだと思います。言わば「民主主義」の徹底。それの尖ったやつ(尖鋭化かつ先鋭的なやつ)が「社会主義」。更に尖ったやつが「共産主義」。
右翼とは個人の努力で個々人が各々幸せになろうとする、言わば「個人主義」。国単位の右翼化(国単位の個人主義、あっ、「個国主義」とでもいうのかな?)もあります。近頃のトレンドです。極右政党の躍進。世界的に専制国家が増え続けて、今や半数以上。公平な選挙をしてる国の方が少ないのです。そんな専制君主制の国に暮らす人は思います。外国人なんていなければ良い、いなくても良い。幸せの邪魔だ。自分だけが栄えればただそれで満足です。アメリカを見てるとわかります。「アメリカファースト」。昭和の中頃に「アメリカというものはなぜかやたらに共産主義者を毛嫌いするなぁ、敵国扱いのソ連のせいか」と思ってました。だけど、この50年の経過を見ていると気づきます。アメリカもめっきりすっかり個人主義になったもんだ、と。今君臨してるトランプの本当の狙いは「鎖国政策」。鎖国して、自国だけで経済を回す。関税なんて序の口。ベネズエラの密輸船は撃沈して、グリーンランドは俺のものであるべきだ。そのほうが世界平和のため。地政学的には確かにそう。あの圧倒的な軍事力。圧倒的な軍事力をちらつかせて世界各地の戦争を終結させる。…私には「籠城の準備、さすがに本当に籠城まではできないけど、籠城の真似事」まこれが「右傾化」なのです。閉じた世界で王様だけを信じぬいて生きよう。それが「幸せ」だ。
ここでこのブログの冒頭の「外国人問題」を思い出してみてください。この個人主義へと向かう流れの中で、書き連ねて来た外国人問題が巻きおこってしまった時、世の中は急激に右傾化してしまうとは思いませんか?
極右政党の台頭という言葉を、私が一番最初に聞いたのは確か30年ぐらい前。オーストリアの選挙結果のニュースでした。古い存在である私は、そのニュースを見るまでは「美しい町並みと悠大なラインの流れにくるまれた、スイスに並ぶ永世中立国のオーストリア、音楽の都ウィーンもある。オーストリアは、さぞや平和な国なんだろう」と、イメージだけで思い描いてました。そんなところで極右?極左はテロリストに化けるから、極右も同じように化けるに違いない。黒塗りの街宣バスも居た(今は居ない?)。イメージと違うなぁ。驚きました。ちょっと調べたら、お隣の西ドイツ(当時の呼び名)でも似たような状況でした。極右の台頭で1世紀前に酷い目に遭った国もそんなふう。ヤバいな。原因は何?ずっと疑問でした。しばらくすると、フランスにもイタリアにも出現しました。今は日本にさえも。ヨーロッパ諸国はことごとく移民問題に悩んでいます。冒頭の「外国人問題」のヨーロッパバージョンです。そこに「貧富の格差」が加わったらどうなるんでしょうか?きっと極右の人も湧いて来るだろうと思います。これが世の中の流れだと私は思います。
長くなり過ぎましたから、このブログもこの辺りでおしまいにします(まだ途中ですが)。次回のブログは「打てないはずの球を打つバッター」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。
