こんにちは。お元気ですか?私は相変わらずです。今日もテレビをぼんやり眺めてます。今日日(きょうび・最近という意味)は「何だかなぁ」という感想を抱いて(いだいて)しまうニュースが多いように感じられます。時代の移り変わりの過激さについて行けない(例えば私が未体験のままこの施設に入所してしまったキャッシュレス決済)、安価なものしか食べられなかった食事不満足な暮らし、何事もうまくいかない政治経済、俺も引っ掛かりかけた特殊詐欺、なぜかしら身につまされる少子高齢化、暗いニュースばかりです。明るいニュースと言えば、大谷将兵さんと藤井添う歌さんの(何か違くね?)ニュースぐらい。そこで今回は、この施設の大谷将兵さん(違うってば!)とも言うことができるかも知れない注目度満点の「猫の元気君」のお話しです。題して「げんちゃんは腰痛にはならない」です。
とりわけ猫が好きというわけでもないけど、私は時々この施設が飼っている猫の「元気君(推定年齢13才、実は私と同日入所)」を見に行きます。この施設の入居者ならば誰もがみんな知っているように、我々の間では通称「げんちゃん」です。げんちゃんのケージは私の居室からはそれほど遠くはないから、気が向いた時はわざわざ足を運んで見に行きます。げんちゃんを見てて私はこのように思います。
ケージに居ることだけが全てという人生(猫生?)かぁ。ケージだけなんて一生涯を過ごすにはちょっと狭そうだ。一緒に暮らす我々は車椅子生活だから、かまってやることは出来ても散歩には連れて行けない。職員さんも忙しそうで散歩どころじゃなさそうだ。連れてってくれる人がいないから、生まれてこのかた散歩なんて行ったことないんじゃない?これを「気の毒」と呼ぶなら、我々入居者も『自由に動き廻れない』という意味では気の毒。げんちゃんも『自由に動き廻れない』という意味では気の毒。ここに居る人居る猫みんな気の毒(猫は一匹しかいないけど)。
だけど裏を返せば、俺もこの環境の下(もと)でそれなりに幸せ(誰のおかげ?)。こんなに頭を使うことなんてなかった、ただのうのうと毎日をやり過ごしてた。それと比較して遥かに幸せ。げんちゃんもこの環境の下でそれなりに幸せ(誰のおかげ?)。何も努力しないでも安全や水食料が確保されて、猫の砂も交換してもらえる。これ以上の幸せって、ある?ここに居る人居る猫みんな考え樣(かんがえよう)によってはそれなりに幸せ(誰のおかげ?)。この上何を欲しがるの?この上何が要るの?
もし私が健常者のままだったとしたら、動くことができるこの私は本当に幸せでいられるのだろうか?胸を張って「気の毒なんかじゃなくてよかったぁ」とでも言うのだろうか?何かへんだぞ。適当な理由を捻り出して、健常者のくせに「気の毒な人ごっこ」を演じ続けてるのではないだろうか?なんて思います。「この俺こそが世界でいちばん気の毒。あれが辛い、これも辛い、かわいそうでしょ?」なんてブーたれ三昧(ざんまい)。気の毒ごっこのエンドレス。しかも、自分が捻り出した結論ゆえに、がんじがらめに呪縛されたりして。
・・・・動ける動けないなんて、大問題だけど大したことない?大したことないけど大問題?無駄に深い。
しかしこの時私はフッと気が付きました。「幸せであろうがなかろうが、ケージが狭かろうが何だろうが、人間と違って猫には腰痛なんてないんじゃない?四十肩五十肩なんてないんじゃない?しゃべってくれないから、真相は謎のままだけどさ」。げんちゃんは腰痛にはならないのです(腎臓病にはなりやすいけど)。そして、腰痛持ちの人ならこう思うはずです。「それって、最大限の幸せじゃん」。体に不調ヶ所があることが不幸で、体のどこにも不具合なきことが最大の幸せなのです。
部屋の広狭より、可動範囲の広狭より、体に疼痛なきことは最強の幸せじゃない?このことは、頭痛持ちや腰痛持ちの人には理解していただくことができるのではないかと思います。
猫にはなくて、人間だけに見られる現象は他にもあります。げんちゃんを見ててこんなふうに思います。
人間の爪はどうしてあんなに薄いの?攻撃力激弱じゃない?生き物としてどうなの?それに引き換え、げんちゃんの爪は凶器っぽいなぁ。
人間の脚は、かけっこしたらどうしてあんなに遅いの?あんなもんだったら、獣なんかの天敵に喰われちゃうよ?げんちゃんの跳躍力を見てると感動さえ覚える(時に恐怖)。「あんなに跳べる?」
人間の皮膚はどうしてあんなに日焼けするの?それに引き換え、日焼けした猫なんて聞いたことない。あっ、げんちゃんも(も)紫外線未体験?美肌かな?
人間はどうしてあんなに体毛が薄いの?基本的に一部を除いてツルツル。それに引き換え、げんちゃんの毛並みはふさふさだなぁ。
人間はどうしてあんなにお産が大変なの?犬はポロッと産む、猫もそう。安産祈願は犬マーク。俺はあかちゃんを産んだことないけど(逆に、あったら恐い)、痛くてつらそう。赤ちゃんを産む場所がなんで病院?げんちゃんがもし牝で、しかも妊娠しても病院には行かないだろな。
人間はどうしてあんなに頭が重いの?軽かったら、飛び降りても猫みたいに着地できるかもしれない。げんちゃんの運動能力は「さすがは猫」というレベル。
人間はどうしてあんなに暑さ寒さに弱いの?暑いと体の動きが緩慢だし、頭は冴えない。寒いと体は凍えて固まるし、気分は決して腹の底から笑う気になれない。あっ、げんちゃんも笑わない(笑ったら恐い)。ケージは寒いのかな?
人間はどうしてあんなに食べ物の好き嫌いがあるの?人間は、犬や猫は決して食わない。象や猿や蛇も食べることはないし、鹿や熊や馬や兎も食用としてはごく一部。牛と豚と羊とにわとりばかり。植物と見ると、品種改良に継ぐ品種改良。そのままじゃ食べられないの?げんちゃんは、熊の肉やアザラシの肉なら、喜んで喰うんじゃない?
人間の目はどうしてあんなに視神経のはいり方が不自然なの?入る直前でUターンしてる。人間になる前はもっと離れてた?げんちゃんはどうだろう?(実はどちらも知らない)
人間の鼻はなぜあんなに顔面から突き出てるの?耳たぶは集音器代わりだとは言うけれど、鼻は穴だけ開いてれば、機能的には見劣りしないと思うけど。類人猿の名残かな?名残惜しかったのかな?げんちゃんは突き出してる。
こうしていろんなことを思い巡らせながら、げんちゃん見物の昼下がりは暮れて行くのです。
げんちゃんには私のことは、ボーッとしてただ一点凝視してるように見えるはず。凝視されるげんちゃんの身分としたら、見つめられて、たまったものじゃないでしょう。だけど私の頭の中はこんなにも忙しいのです。そのほとんどが「考えても無駄なこと」ばかりです。でも、何も考えないより、空しいことを考えたほうがまだマシかな。
こうして老齢になってみると、あちこちの劣化と引き換えではあるが、若い頃とはまた違う景色が見えてくるものなのです。げんちゃんは腰痛にも五十肩にもならない。俺は腰痛だし五十肩。げんちゃんのケージは狭いけど俺の居室も広くない(広いとそれはそれで困るけど)。
このように、猫と人間の違いに思いを馳せる、ひいては私の生き様(いきざま)に思いを馳せる、こんな瞬間があってもいいのではないでしょうか?
いやはや、今回もただ徒(いたずら)な呟きだけでスミマセン。短いと書いた気にならないのです確信犯です、はいぃ(やす子?)。次回のブログは「聞こえない音、見えない物体、匂わない匂い」
の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。