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長過ぎね?俺の随筆(その51)『闇バイトは水に浮かんで流れる落ち葉の如し』

長過ぎね?俺の随筆

こんにちは。お元気ですか?私はお陰様で元気です。元気だから万博見物旅行にでも行きたいな、なんて柄にもなく思います。私は1970年の大阪の万博(当時11才)も家族旅行で見に行ったし、愛・地球博(当時44才)もクラシック・ギターのギタリストとして出演しました。これが人生3回目の万博です。興味がないでもないから(あるって素直に言えよ)万博に行きたいなぁ、現実にはできっこないこの体だけど。大須散策なら付き添いありなら行けるけど、泳ぎにも鍾乳洞にもお城にも行くことはできないし、長島スパーランドの乗り物もNG。況してや(ましてや)大阪なんて遠いところには。そのセンで行くと、ディズニーランドは遥か彼方の天国か?一体そこまで誰が連れてってくれると思ってるの?自分勝手が過ぎる。

だけど、本当は言うほど旅行が好きでもありません(ありませんでした)。旅の魅力はわかるけど「どうしても行かなくてはならない」という場面に出くわさない限り、重たい腰が挙がりません(挙がりませんでした)。たった今熱く沸きだしたこの「旅行にでも行きたい」という気持ちは、ある意味では「ない物ねだり」なんでしょうか?

近頃の話題はオーバーツーリズム。観光客の増えすぎです。あちこちでマナーの欠落が問題視されてます、特にアジア人(申し訳ない呼び方だけど他意はありません、すみません)。かつて私もそんな人達に出くわしたことがあります。ここの隣町にある博物館M村での出来事でした。あまりの厚かましさになぜか恐怖心すら覚えたものでした。怒りなんかとうの昔に通り越してました。記念写真でしょうか?門(門自体遺構物)の前でバス待ちしてたら「シッシッあっち行け」撮り終わったら平然とバス停の先頭に並ばれた。たぶんごく一部の人の所業だとは思いますが、これが文化の違いによるものだったら「もう二度と来るな!」ということになりかねません。言ったほうも言われたほうも不幸です。そうか、我々は出掛ける側の身分じゃなくて、受け入れる側になったんだ。これが時の移ろいなのか。オーバーツーリズムの弊害は身につまされるものがあり、敢えてここに書き連ねるほどのことでもないと思います。絶大過ぎる。施設暮らしの私でさえも同感。各所に於いて様々な軋轢を生んでるのではないかと思います。軋轢は次から次へとやって来ます。次から次にかこつけて、今回のブログは3回目の時事問題かな?題して「闇バイトは水に浮かんで流れる落ち葉の如し」です。

 

あちこちで最近よく聞く闇バイト。闇バイトの手による強盗は、インパクト激烈な犯罪です。私には疑問が湧きました。次から次へと現れることの何がトリガー(引き金)なのかと、この継続性の理由は何だの二つです。平たく言い換えたら、きっかけは何?と、どういうメカニズムでみんな揃って一生懸命警告してるのになくならないのか?の二つです。

盛んに流れる警告がよもや聞こえなかったわけでもあるまいに、聞きたくないから顔を背けた(そむけた)の?聞こうともしないそのわけは?何の変哲もない住宅街のありふれた佇まいの戸建の民家や、真っ昼間の人通りの多い商店街の宝石店が襲撃されたり、ここは治安が悪いよその国と同じなのか?「我が国は治安が良い国だ」と聞いたように覚えているが、あれは気のせいだったのか?俺の知ってる日本じゃない。信じられないと思います。襲撃したのは闇バイトの実行役?文字通り捨て駒じゃん!それを集めて来たリクルーターとその上に実行指示役?金の回収役と強盗道具の買い出し役?更にその上に総合まとめ役?その全てを隠匿性が絶大なことを目論んで作られたSNSでやり取りするの?そりゃあ頂上のまとめ役にはたどり着かんわな。昔、こんなCMがあったなぁ、と思い出しました。「臭い臭いぞトイレは臭い、臭いにおいは元から絶たなきゃダメ」、これは真実を突いてると思います。頂上のまとめ役を絶たなきゃお風呂場のカビみたいにまた生える。絶対出て来る。下のほうを捕まえるのは、まぁそれはそれで当面の効き目はあるんだろうけど、本質的に何の解決にもなってない。懲りることはない。こんなふうでは安心して暮らせない。でも警察だって馬鹿じゃないから、そこらへんはわかってるはず。我々庶民が安心して暮らせないことを。それにしても、まさかこんなところで「元から絶たなきゃダメ」のセリフを思い出すなんて想像できなかったぞ。

 

私は思います。捕まえるのは警察にお任せするとして(できるかできないかはまた別)、ことが起きる原因は何だろう?構造や作動メカニズムやそれがもたらす弊害は、ピラミッド型模型や身分証提示を人質にされて揺すられるなどのことや防犯グッズの売上高増加で何となくわかるけど、闇バイトそれ自体がなくならないのはなぜだろう?根絶できないのはなぜだろう?

 

最初の疑問。トリガーは何?について、私はこのように思います。気をつけろ~気をつけろと言っても闇バイトの応募者がいなくならないそのわけは、ずばっと言うとオンラインカジノ。言わずと知れたギャンブル、だと思います。オンラインカジノはパチンコより課金総額が多くなる建てつけ、その分中毒性も依存性も高い。我が国では違法でも大多数の彼の国(かのくに)では合法。スマホやパソコンのディスプレイに実行画面や広告が出てしまうけど、インターネットに国境はないから、外国由来のものならどうしようもありません。だって、勝手に消したり、おおっぴらに直接覆うみたいに「違法です」とは注意喚起広告も出せません。彼の国にも主権があります。表現の自由と言われたら何も言い返すことはできません。もう立派な内政干渉です。そしてアプリも無料。よくある無料ゲームのふりをして、本番では課金。「どなたにもお楽しみ頂けます」の文言に騙されて「ああ、違法じゃないんだ。有名人の広告も出てたことだし、振込先も海外」。妙な納得のしかたをします。だけど負け続けて金はなくなった。手軽に稼げる手はないか。あ、あった。短時間で高収入。誰でも出来る。…闇バイトでした。気が付いた時にはもう遅い。蓋を開けたらこんなふう。やってるほうも薄々「違法だ」とわかってるけど、今更突き付けられた、強盗なんかの「更に一層の違法の上塗り」にもう抵抗がなくなってます。これを私は「山口県阿武町役場の誤入金騒動」の時に気が付きました。騒動の主人公は明らかに当初は違法性を認識してませんでした(彼は途中で指摘されて気が付いた)。その上入金先からの返金が海外からなのに迅速過ぎました。何者だあの組織?違法のにおいぷんぷんです。

 

もう1つの疑問。なぜなくならないかというと、それは「善悪のバランス」が取れてしまってるからです。私はこう思います。世の中に9割の善人と1割の悪人が仲良く暮らしてたとしましょう(何が仲良くかは知らんけど)。根っから「俺は悪人だ」と確信しながら暮らしてる人はまずいないだろうから「覆面悪人」と言うべきかもしれません。大多数の善人逹も「彼こそが悪人」だとは知りません。自分みたいなやつが1割しかいない周りの状況を見た覆面悪人逹は「もう少し自分の仲間が増えてもいいかな」と思って増えます。それを見た善人逹は「いつの間にか悪人が増えた?このままではいけない」と思って対策します。だから悪人が減ります。減りはするけど根絶することはありません。悪人が減ると、生き永らえた悪人逹が働き易くなって増えてしまいます。「俺たちの仲間がもう少し増えてもいいかな」悪人が増えると善人が慌てます。それ、みんな揃って対策しろ。覆面悪人も一緒に手を繋いで。だけど、やがていつしか対策が効いたのかそれとも社会情勢が変貌したのか、悪人は漸減してその分善人が増えます。それが「善悪のバランス」というものです。犯罪一般が世の中からなくならない理屈と同じです。

 

もう1つ。闇バイトと言えば、昔ながらの「警察をかたる詐欺」。私も引っ掛かった事もあるし、即座に見破って突然怒鳴り付けて差し上げたこともあります。これもなくなりませんね。掛け子に身を落とした人とは、一体どんな人なんだ?私はこれも闇バイトの所業だと思います。マニュアルなんてこしらえて。

借金してしまった人が、その借金を返済するために言いなりになってやってのける。その当時既にオンラインゲームはあって、それによる借金も相当数あったけど、まだ社会に於いて問題化してなかったと思います。その他の要因が多かったと思います。絶対数も今時より少なかったと思います。

 

だけど、悪は川に浮かぶ落ち葉のようです。絶え間無く川の上流から流れて来ます。いくら注意喚起しようともなくなることはありません。なくなる道理がありません。世の中自体が落ち葉を生み出す構造なのです。悪という名の落葉樹木が川沿いにびっしり生えているのです。しかも、次から次へと落ち葉が流れて来るターン(順番に訪れる場面)です。世の中は秋なのかもしれません。落ち葉が落ちるのは秋。夏はもう過ぎたのです。大胆に言えば「世の中が間違ってる。闇バイトを生み出す構造に知らないうちになってしまった。だから絶え間無く流れて来る」そんな状態です。

事が起きる要因の最大はSNS。SNSには、故意に悪人を生み出そうという仕組みがあると思います。まず、世の中には多様性が存在することに気付かせる。ネットニュースは珠玉混合だと、わざと警戒させます。次に、フェイクニュース乱発で「ああやっぱりね。でも俺はこうして気が付いたぞ。俺には嘘を見抜く力がある」と確信させます(自動的だからしますというべきだな)。まあ、過信なんですけど。一人でスマホやパソコンを操作するから、冷静な視点はありません。まいっか。はいをクリック。これが闇バイト誕生までのからくりです。こういう世の中になったんだなぁ。何も考えないで暮らしていくことはもう二度とできない世の中に。自分の体や財産は自分で守れ。何が出来るかできないか考えろ。

だけどそれはポッカリ開いた落とし穴じゃない?誰も教えてはくれない。昔は教えてくれたのに、とまでは言わないけど、昔は危険も少なかったのもまた事実です。

 

世の中の変貌について行く。仕方なくそれに従うというイメージがあるから「追従」とまでは言わないけどついて行く。それが出来ないやつは滅びるかもしれない。いや、滅びるだけ。生きにくい世の中になってしまったものです。

 

次回のテーマは「年寄りは年老いてさえなぜ生きる」の予定です。それではご機嫌よう、さようなら。